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2017年7月27日
 2015年から続けてきた「月の君シリーズ」が前回ついに完結しました!
 月の君シリーズは、小倉百人一首に選ばれ、紫式部の自選歌集「紫式部集」の巻頭に置かれている
 「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜はの月かな」で
 「月」と呼ばれている「わらはともだち」が、一般的に言われるような幼少からの女性の友達ではなく、
 紫式部が若き日に淡い恋心を抱いていた男性を指していると捉えて、
 その出会いが源氏物語の成立へ及ぼした影響を考えたシリーズでした。
 (こんな風に説明するとやたらと難しい話に聞こえますね!
 学問好きのカタブツゆえに片思いの恋さえしたことがないと千年噂の!?紫式部が、
 実は人知れず激しい恋に悩んだのでは?という話です)

 今日はその記念?です(笑)
 内容は2ページに分かれ、ページの構成の都合で新→旧の順番に
 (別の話を挟みながら)飛び飛びに並んでいるので、
 シリーズ第1回→最終回の順に並べた目次を作りました〜(パチパチパチ!!)

 「月の君シリーズ」目次

 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
 第11回 第12回 第13回 第14回 第15回
 第16回 第17回(最終)

 次の(サイト全体の)更新は、よほどのことがない限り8月20日の予定です。
 たくさん文字を打って疲れたので(笑)しばらくお休みです!
 今夏もチョコ力(※)を大絶賛発揮中ですし(汗)
 あと、この更新履歴ページ…すごく長くなりましたので、
 次回から新しいページを作るかもしれません。
 (※)ちょこりょく…耐熱性能28℃以下という意味


2017年7月26日
 前回の続き、月の君シリーズ最終回です。

 それにしても月の君問題の結論が「触らぬ神に祟りなし」だなんて!
 というわけで、紫式部が自身の失敗談をもとに編み出した、
 幸せに生きるために「触ってはいけない神を見分けるコツ」を簡潔にまとめます。
 偶然見ただけで正気が飛ぶほどのひとめぼれをするような相手はダメ、
 空前絶後にして唯一無二と思ったら、やめろ!
ということです。
 こうすれば一切の間違いは起きず、平穏な人生を送れるでしょう。

 ですがこの対策はやはり、
 それぞれの「月の君」に出会う前に、源氏物語を読むのが間に合った人にしか役立ちません…
 すでに月の君に出会ってしまっている紫式部と、
 読むのが間に合わなかった人たちを救う手立ては、源氏物語に書かれていないようです(汗)
 (なんということでしょう!!)
 …まあ、救いの無さはシリーズ当初から薄々ありましたよね?
 みなさまご覚悟の上で話についてきてくださっていることと信じています(笑)
 月の君問題状態に陥ったら、いくら恋をしても全くリア充ではないですよ…
 リアルまで進めたうちにとても入らないですし、悩みだけが充実しますから(汗)
 間に合わなかった人たちはひとつ、この作戦で行きましょうか…名付けて
 「誰かに言ったら理解されないばかりか責められそうな秘密を分け合える仲間をついに発見した!!」作戦です
 (作戦名が長すぎ(笑))。
 名称の長さに反して、この作戦の活動はとても簡単に行えます。
 それは…
 (わかる…わかりますよ…紫式部さん、あなたも苦労したんですね…)
 と念じるだけです。
 すでに世を去った昔の人に時を越えてエールを送るなんて謎ですが、
 こうしていればその人の「月の君」にうっかりヘンな生霊?を飛ばさないで済むでしょうから、
 まあいいじゃないですか!

 ところで紫式部は、月の君問題で少なくともあとひとつは後悔があったようです。
 それは「やっぱりな」といいますか…月の君への尽きぬ思いがありながら、
 他の人と結婚したのは良くなかったということです。
 その思いが「夕霧」で落ち葉の宮に母の一条の御息所が掛ける言葉からうかがい知れます。
   多少なりとも身分ある(=貴族)女性で、二人の男性に嫁ぐ例は、感心しない軽薄なことなのに…
   (すこしよろしくなりぬる 女の、人二人と見るためしは、心憂くあはつけきわざなるを…)
 当時の婚姻制度の緩さを考えると
 (男性が女性のところに通うようになったら結婚、通いが途絶えたら離婚)、
 少々気負いすぎの感があります。
 (源氏物語の作中にも再婚は結構書かれていますね…夕顔とか、雲居の雁の母とか)
 平安時代に古くはそういう道徳観念があったのだとしても、
 紫式部の頃はすっかり形骸化していたでしょう。
 そんな古い考え?をあえて、ヒーロー・夕霧の人間関係に絡めつつ
 作中に持ち出さなければならなくなった理由は、ひとつしかありません。
 紫式部は夫亡き後、たとえ月の君と再婚という形で結ばれても問題なさそうな状況になったところで、
 自分がその道を選んではいけないと考えたためかもしれません。
 それは一度、自らの意思で他の人を選んでしまったことで、月の君を裏切ってしまっているからなのです。
 (「その前の段階が、まず(笑)」とか、
 「片思いのクセによくも図々しく(笑)」のような突っ込みを今更入れてはなりませんよ!
 痛いほどわかってますから…
 あと、「そもそもなんで他の人と結婚したの?結婚する気になれたの?」については
 この回この回を読んでください)
 時代もありますから、あまり突っ込むのも紫式部が気の毒ではありますが…
 月の君くらい好きになってしまう人に出会ってしまったのなら、
 2番目に好きな人をわざわざ探して?結婚するのは避けた方がよかったでしょうね。
 1番好きな人を選べないと決めたなら、
 誰も選ばない方が、本人の精神衛生上はるかにマシでありましょう…
 紫式部のように自制心を支えに生きているような人は、特にです。
 いっそ出家した方がよかったかもしれません。

 「裏切り」は、雲居の雁から見た「夕霧・紫の上のぞき事件」にも関わってきます…
 雲居の雁は夕霧と引き離された後も、
 他の人にわずかにでも気持ちを移すことはなかった様子です。
 一方の夕霧は引き離されている間、紫の上事件や、
 雲居の雁との仲を裂かれた寂しさから
 父・光源氏の側近の惟光の美貌の娘・藤典侍に近づいたことはありましたが、
 それでもずっと雲居の雁を一番大切な恋人と位置付け続けていました。
 機会を数年にもわたって待ち続けた甲斐あって、夕霧と雲居の雁はついに結ばれました。

 一見ハッピーエンドのようではありますが、よくよく考えるとどうなんでしょうね?
 これは、いろいろあったけれど最後に自分のところに物体(?)としては夕霧が戻ってきただけマシ、
 くらいの微妙なハッピーエンドじゃないですか…
 特にダメなのは、心の真ん真ん中に紫の上が堂々と住んでいるあたりでしょう(汗)
 (藤典侍は側室なので、この時代だとそういう人が関わってくるのは遅かれ早かれな部分があります。
 落ち葉の宮のことでさえ、そうです)
 …離れ離れになる前はそんな人住んでいなかったのに(泣)
 夕霧の心の中には雲居の雁しかいなくて、雲居の雁こそが夕霧の真ん真ん中に住んでいたのに、
 知らないうちに端の方に追いやられた感じになっていて…どうですよ、コレ!?
 男子(夕霧)的には、雲居の雁の目の前にいることで誠意を見せ切って愛を示しているつもりでしょうが、
 女子的にはアウトでしょう…!?
 気づくと思いますよ、普通。
 まさかその人が紫の上だとは思いもよらなくても、
 誰か自分じゃない人が、好きな人の心の中にいることくらい…
 分からなかったら、よほど夕霧を見ていない、つまり無関心=好きじゃないってことですよ…
 国宝源氏物語絵巻にも描かれている手紙事件は、そのとばっちりを受けたと思われますので、
 落ち葉の宮とその母・一条の御息所はひたすら気の毒です(汗)

 雲居の雁のように後から隅に追いやられたのでは裏切りですが(汗)、
 出会った時にはすでに憧れの誰かの面影を胸に秘めていたなら、
 それはもう仕方がないことですね。
 紫式部には月の君が、雲居の雁の側から見た夕霧のように
 誰かを格別に好きでいるように見えたのかもしれません。
 その格別さはちょうど紫式部が月の君を想うような具合です。
 月の君の好きな人が誰なのか想像はつかなくても、月の君のその誰かへの想いは、
 自分を含めた周りにいる誰一人として指一本触れることができないものなのだと…
   シャボン玉の中には 庭は入れません 周囲(まわり)をくるくる廻っています
 というジャン・コクトーの詩がありますが、ちょうどそんな感じでしょう。
 月の君と月の君の好きな人がシャボン玉の中、紫式部たち関係のない人がシャボン玉の外にいるのです。
 月の君を本当に大切に思うならば、そのシャボン玉に触れてはなりませんね。
 シャボン玉のように壊れ易そうに見える透明な想いを月の君が抱いていることを感じながら、
 自分はせめて側にさえいられたらと思ったのかもしれません。
 絶対に、月の君の1番大切な人にはなれないですが
 (例えば、光源氏の中で紫の上がいつまで経っても藤壺と同じ順位に立てなかったように、
 夕霧の中で雲居の雁が紫の上に並ぶことはなく、後に落ち葉の宮と並べられてしまったように)、
 それをわかった上で望むのです。
 でもこの望みは、望んだそばから本人には破綻が見えるようなものです。
 どれほど強くあろうとしても、やはり、
 「自分と同じように月の君にも私ひとりだけを大切に思ってほしい」と
 少なからず望んで、決心を裏切ってしまうだろうと予想されたでしょう。
 破綻を招く望みを打ち消せるほど自分は強いのか、強いわけがない、
 ならば側にいたいと思ってはいけない…と連想していくのです。
 この辺りのことは全て紫式部の頭の中の作り事で、
 月の君を諦めるためにあえてそういう風に見ようとしたのかもしれませんが…

 これほどまでにも紫式部を悩ませる月の君は一体どのような人だったのでしょうか。
 以前にも書いたように「この人です」と特定はできません。
 しかし人柄については、これまで流れに沿って考えていくと、
 争いを好まずとても穏やかだった様子が目に浮かぶようです。
 今でいう草食系男子だったのかもしれません。
 異性にガツガツする/しないとかの限定的な意味ではなくて(笑)、もっと広範な意味です。
 例えば出世してどうこう…のような野心もない、無欲な人柄でしょう。
 このため紫式部のように叶えられない出世欲が、
 胸のうちで黒々ととぐろを巻いているような感じはなかったはずです。
 とはいえ紫式部は、
 自分と違ってせっかく男性に生まれたんだから、出世競争に堂々参戦すればいいのに…
 と月の君に対して思うことはあまりなかったかもしれません。
 なぜならそれこそが彼の良さだからです。
 月の君は、自分に巣くう闇がもたらす憂いとは無縁の人なのです。
 そういう意味で月の君は竹取物語に書かれるような、
 無憂の月の世界を生きる天人、つまり異世界に生きる人だったことでしょう
 (無憂…文字通り「悩みがなさそうだなあ」なんて、誉め言葉ではないですね(笑)
 そうではなくて、現時点では悩みがあってもこのままブレずに生きていけば、
 いつか必ずや無憂の境地に辿り着ける天分が、見るからにありそうという感じかもしれません)。
 手が届かないというより、物理的に触れる位置にいても触ってはいけない人なのです。
 触れることで月の君の胸の内にある清らかな月の世界を、自分の闇が汚してしまうに違いないからです。
 さらには出会ってしまったことで、
 勿体なくもいくらかを汚してしまったと紫式部は思っていたのかもしれません。
 会う度に紫式部のたったひとつの持ちネタだった学問などの話をして、
 月の君と距離を詰めようとしたことも、
 結局はその静かな世界に悪趣味なガラクタ(まさしく「我楽多」!)を
 なだれ込ませるだけだったということでしょう。
 誰かとの出会いで知らなかった新しい世界が開けるとか、
 出会った二人の持ち味が混ざり合って新しいものが生まれるとか、
 いい刺激・影響を及ぼし合えるとか…そういうことを喜ぶ関係性はよくあるでしょうし
 それ自体は素晴らしいことです。
 でも相手の内なる世界が何かを足し引きする必要がない程、
 ひとりで素晴らしく完成して見えているなら、
 自分が些細な影響でもその人に及ぼして、それを傷つけたり、
 進むべき道の足手まといになってしまうのは恐ろしい罪悪に感じられてしまうでしょう。
 この意味でも「恋は罪悪」です。

 辛いですね…月の君とのことは辛いばかりのようですが、
 それでも大切に思う人との数少ない大切な思い出なのでしょう。
 書こうとしなければ、痛みがただの痛みになってしまうのです。
 それは紫式部ほどの才能をもってしても、
 書き尽くせないほどの激しい片思いだったのでしょう。
 運命を感じてなお、余りあるような…
 源氏物語にはよく「前世からのご縁を感じる」的な表現が登場しますね(主に光源氏が言います(笑))。
 古今東西、運命の恋のような話は星の数ほどあると思います。
 それだけ誰でも、そしてどのような人でも、たとえ恋に縁がなさそうな紫式部であっても、
 運命と錯覚してしまうような激しい恋に、
 生涯に1度は陥る可能性があるということなのかもしれません。


2017年7月19日
 前回、ちょっとミスをやらかしてしまい…
 アップして1時間も経ってから気が付いてこっそり訂正を入れました(汗)
 現在はすでに訂正済みの
 「出会ってしまう前に、運命を感じてしまうことになる一方が源氏物語を読んでおいて」
 という部分を間違えて
 「出会ってしまう前に、どちらか一方が源氏物語を読んでおいて」
 と書いていました。
 運命感じない一方が読んだって意味ないでしょうが!ということです(汗)
 しかも、本当に「どちらでもいい」のならその二人は両想いですよ…最初から悩む必要なし!です。
 というか、逆に両想いは読むと差し障りが出そうですね…恐ろしいです。

 それではお待ちかねの前回の続きです♪


 それは「野分」で野分(台風)が都を襲う最中に起こります。
 紫の上が、強い風のために庭の秋草が無残に折れてしまうのを心配して、
 珍しくいつも居る建物の奥から庭の近くにまで出ていた時でした。
 強い風のために屏風もみな畳まれていたので、
 紫の上の姿が、妻戸の隙間を何気なくのぞいた夕霧からはっきりと見えてしまったのです。

 その時夕霧が受けた衝撃と、その衝撃がずっと尾を引く様子をこれからしばらく抜き出していきます。
 月の君シリーズ的には、この衝撃と、それが尾を引く様子が紫式部のひとめぼれ体験になりますよ!
 (もちろん「紫式部の体験そのまま」ではありませんが…体感?はそのままでしょう)

   廂(ひさし)の御座所にいらっしゃる人(紫の上)は、他の人に紛れようがない、
   気高く清らかで、さっと良い香りが立つ心地がして、
   春の曙の霞の間から輝くような樺桜が咲き乱れているのを見るような心地がした。
   目をそらすことができずに見つめてしまっている自分の顔さえも思わず笑顔に変えてしまうように、
   愛嬌は降りかかる花びらのように辺り一面に散って、
   空前絶後にして唯一無二の素晴らしい人の様子だった。
   (廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、 気高くきよらに、さとにほふ心地して、
    春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。
    あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。)


 完全に夢見心地ですね(笑)
 少し盛り気味に(えっ)テキトウ訳でお送りしました。
 「またなく」と「めづらしき」という似たような意味合いの言葉を2つ重ねている辺り、
 イカれている感じでヤバいですね(笑)
 「めづらし」は「素晴らしい(←素晴らしさをを褒めたたえての言葉)」と訳すのが一般的らしいですが、
 現代語での「珍しい」のニュアンスも乗せた方が、この場合はしっくりくる感じがします。
 ここまでで、すでにかなりヤバい夕霧の頭の中ですが(汗)、
 この場面はまだまだ続きます。

 風が強く御簾が吹き上げられるのを紫の上に仕える女房達が押さえていた時、
 ふいに紫の上がほほ笑む姿が夕霧の目には眩く映るのです
 (いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ)
 さらには、紫の上の女房達もきれいな人ばかりのようだとは一応(?)夕霧は気づくのですが、
 そちらに目が移るはずがないと断言しています
 (御前なる人びとも、さまざまにものきよげなる姿どもは見わたさるれど、目移るべくもあらず)

 こうまでも激しいひとめぼれの衝撃を真正面から書いた話って、案外無いように思います…
 うっかりすると表現がバカバカしくなってしまうからでしょうか。
 …例えば漫画でやったらこんな風にギャグになってしまいますよ!
 見開きで紫の上のどアップがバーン!余白を埋め尽くす樺桜の花、花、花!
 「パァァァ…」とか「ペカーッ(←ピカーッではなく(笑))」とかヘンな効果音が書かれて、
 目がハートどころか目を回しながら夕霧が、バンザイポーズでその場でクルクル回っているような(?)
 とんでもなくヘンな絵面の見開きが、ページをめくってもめくっても、
 10ページにもわたって続くような、そんな描写になってしまうでしょう。
 これはひどいですね!元の世界に帰りたいですね(汗)
 詩的に美しく表現しようにも、源氏物語のこの表現で限界かもしれません。
 テンションがが異界へ飛んだ(?)様子を含めなければならなかったのでしょうから…
 (こんな様子になってしまうなんて、ひどく恥ずかしい目にあいましたね、紫式部は…(汗)
 たとえその様子を他の誰に見られたわけでなかったとしても、自分自身が見てますからねえ…)

 ここで夕霧はいったん我に返ります(良かったですね)。
 かねてより夕霧は、父・光源氏と一番親しい夫人の紫の上に近づく機会さえ与えられず、
 家族として受け入れられていないような疎外感を感じていました。
 その様子は「乙女」に書かれています。
 「上の御方(紫の上)には御簾の前にさえ近寄らせない。
 自分(源氏)自身の性格(←藤壺との一件)を考えてなのか、他人行儀に(夕霧を)扱うので…
 (上の御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなしたまはず。 わが御心ならひ、いかに思すにかありけむ、疎々しければ)
 「遠慮の要らない(はずの)実の親ではありますが、たいそう(私=夕霧を)他人行儀に遠ざけているようなので、
 いらっしゃる辺りに気安く伺うこともできないのです。
 (もの隔てぬ親におはすれど、いとけけしうさし放ちて思いたれば、おはしますあたりに、たやすくも参り馴れはべらず。)

 それがこうして初めて紫の上の姿を目の当たりにしたことで、
 夕霧は自分が紫の上に恋をしてしまわないように、
 源氏が自分と継母の紫の上を近づけなかったのだと悟ったのです。
 紫の上は実際、少し見ただけでもただでは済まないほど心揺さぶられる美しさだったのです。
 そのことについて自分が悪いわけではない、誰であっても同じようだろうという夕霧の感想が、
 「かく見る人ただにはえ思ふまじき御ありさま(このように見る人が何とも思わないはずがないご様子)」
 と突き放して一般論を語るような言葉に表れています(笑)

 ところがその場を離れて、祖母の住む三条の宮邸に帰り、
 夜になってさえ、紫の上の面影が夕霧の頭から離れないのです。
 どうしたことか、恋しい雲居の雁の事さえ意識にのぼることはありません!!
 (心にかけて恋しと思ふ人の御ことは、さしおかれて、 ありつる御面影の忘られぬを)
 「自分はどうしてしまったのだろう。あってはならない思いが浮かぶようだ。とても恐ろしいことだ
 (こは、いかにおぼゆる心ぞ。あるまじき思ひもこそ添へ。いと恐ろしきこと)
 と、努めて他の事を考えようとしても紫の上の面影が浮かんできます。
 夕霧はとてもまじめな人柄なので、紫の上を恋の相手として考えようとはしないのですが、
 あのような人をこそ妻としてながめ明かして暮らしたい、長生きできそうだ
 (さやうならむ人をこそ、同じくは、見て明かし暮らさめ。限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかし)

 と思い続けてしまうのです。

 ホント、どうしちゃったんでしょうね…
 夜が明けてもなお、夕霧の受けた衝撃はまだ消えません。
 翌朝早く六条院に向かう道すがら、横殴りの雨と暗い空模様を見ているうちに
 再びうわの空になってしまうのです。
 「どうしたんだろう、また(恋の)悩みが一つ増えた(何ごとぞや。またわが心に思ひ加はれるよ)
 と思い始めて自分の恋心(!)に気づき、
 「自分らしくもない。ああ、頭がおかしくなったのか(いと似げなきことなりけり。あな、もの狂ほし)
 とさまざまな思いを巡らせ続けます。
 夕霧は到着するなり自分の母親がわりをしている花散里を見舞いますが、
 その後、紫の上と光源氏がいる南の御殿の庭で、
 暗く霧深い中で、かすかな日差しに煌めく草の露を見ているうちに急に泣けてきてしまうのです。
 …あらら。
 知らず知らずのうちに、深い霧が夕霧を取り巻く状況に、かすかな日差しを紫の上に重ねてしまったのでしょうか。
 紫の上の存在は、夕霧の心中に暗く広がる深い霧を晴らす光なのです…
 部屋の中では源氏が紫の上と話しているようですが、
 紫の上の声はたいへん残念なことに夕霧には聞こえませんでした。
 ちなみに夕霧が紫の上の声を耳にすることはついに生涯一度もありません。
 本当に、その姿をちらっと見ただけで好きになってしまったのです…

 その場で源氏から見舞いのお遣いを頼まれた夕霧は、秋好中宮を訪ねます。
 そこでやはり、中宮の住まいの高貴な雰囲気を見ながら、夕霧はまた物思いしてしまうのです。
 見舞いから戻って源氏に報告をした時には、
 ちらっと見えた袖口が紫の上のものではと思って胸がどきどきしてしまいます(胸つぶつぶと鳴る心地する)
 そんな自分が嫌で、よそを見ているうちにぼーっとしては、
 一旦着替えのために席を外した源氏が戻ってきたのにも気が付かない始末でした。
 カンの鋭い源氏は夕霧の様子がおかしいのにすぐさま気づき(笑)、
 昨日夕霧に見られたんじゃない?と紫の上にただちに確認します。
 紫の上は夕霧に姿を見られたことを全く知らないので、源氏は「やっぱり変だ」といいながらその場は終わりになりました。

 後に残された夕霧は近くにいた女房達と雑談するも、
 心中には嘆かわしいことばかり思い浮かぶので、いつもよりも気分は沈んでいました。


 このように最愛のはずの雲居の雁さえかき消して、ずっと尾を引く衝撃を受けたのが、
 夕霧にとっての「紫の上のぞき事件」(←!)でした。
 これ以来夕霧の心の中には、
 おそらく生涯にわたって紫の上の面影が住み続けるようになってしまったのです
 (紫の上がこの世を去る「御法」での夕霧の様子も、今回は省略しますがとても大変なものです(汗))。
 しかし夕霧は、光源氏と藤壺の中宮、あるいは夕霧の友人の柏木と女三の宮のような
 密通事件は起こしませんでした。
 そこが夕霧の凄いところです。鋼の意志で我慢したのです。
 別に夕霧は行動力に欠けるというのではないのです。
 夕霧は野分のさなか、太い木の枝は折れ、瓦が飛ぶ中でも、あちこち見舞いのために奔走していましたね
 (これもこれで無茶のし過ぎで危ないですが)。

 運命を感じてしまう人との接し方について、
 自らのしてしまったことで何年も経ってなお、後悔に悶々と悩むくらいならば、
 初めから何もせず、相手に気持ちを知られないように隠し通して、
 胸のうちで自己完結すればいいということです。
 斬新にして画期的な(?)解決策です…初めから関わらない!
 紫の上は、夕霧が自分に対してそういう思いをかすかにでも抱いていたとは、
 夢にも思わないままこの世を去りました。
 「源氏と最初の妻・葵の上の息子で夕霧という人がいる、直接言葉を交わしたことは1度もない」
 紫の上にとっての夕霧はそれがすべてだったことでしょう。
 この状況でだったら、思いを捨てられずに心ひそかに片思いをし続けることは、
 現実的な意味で罪ではないのでしょう…確かに(笑)
 (生霊?的には知りません(笑)でもこういう風に話を展開するのですから、
 紫式部は六条の御息所を書きながらも、内心そういう話をあまり信じていなかったのかもしれません)
 相手が全く知らなければ、何も始まりませんから、何も迷惑になるはずがありません。

 「なんだ!腰抜け」とか、
 「髭黒や柏木の方がドラマチックだ!こんなん星1つだ(←何についての評価!?)」とか
 言ってはなりません!!!
 夕霧は間違いなくヒーローですよ!!!!(←紫式部の味方)
 何かにつけ「やらないでウジウジ悩んでもしょうがないじゃーん!当たって砕けろ〜」と
 アドバイスしがち、されがちなものかもしれませんが
 (紫式部にそんなアドバイスを吹き込む輩がいたかはわかりませんが、
 彼女の場合は自分の意思で自らの暴走を止めることができなかったのでしょう…
 あまりにも重い恋の病です!)、
 当たるだけで結果として大切な人が傷つく可能性がある場合は、そもそも当たってはいけないのですよ!
 相手が本当に大切なら当然考えるべきことです。
 おまけに当たってしまうと、本人自身も癒えない傷を生涯背負っていかなければならなくなります。
 もはや、誰にとってもいいことがないのです…
 これが紫式部の月の君問題の結論なのでしょう。

 そして、黙って身近な縁の強い人…夕霧なら雲居の雁と生きていくのが幸せだとしたのでしょう。
 (落葉の宮事件は、心に残る紫の上の面影が原因な気がしますが(汗)
 しかも落ち葉の宮は紫の上ほど素敵ではないと判断したからこそ、
 夕霧は近づいたのです。失礼な奴ですね!!)
 驚くほどつまらない、いえいえ…どこでも聞くような結論になりましたね(笑)
 とはいえ、こんな風に話を書いた紫式部が、
 身近な縁の強い人であったはずの夫と早々に死別してしまったことを思うと、
 何ともやりきれない気持ちになります…


 この「夕霧・紫の上のぞき事件」を
 恋人の雲居の雁の立場から見るとまた見える景色が変わってきます…
 それを次回サクッと書いて、いよいよこのシリーズも終幕となります!


2017年7月17日
 前回の続きです。

 嵐が吹き荒れるような心中に右往左往する紫式部の振る舞いは、
 客観的な(月の君の)視点からでは
 「一人で勝手にバタバタよくわからない事を言ったりやったりしている、なんなんだコイツ…」
 という感じだったことでしょう。
 紫式部にしてみれば、もう恥ずかし過ぎますね!
 どんなに深く大きな穴に入っても物足りないですし、
 一切合切無かったことにして、「はじめまして」からやり直したいレベルですよ…
 でも、そんなことはできません…起きたことは取り消せませんから(汗)

 そういえば、光源氏はよく(?)
 「来世も(は)一緒に生きましょう」的なことを言ったり思ったりしています。
 前世とか来世とか、平安時代ならではかもしれませんが、
 紫式部にとっては当時の常識を脇に置いても、切実に願いたいことだったでしょう。
 月の君との関係を、もっといい形にできるようにやり直したかったはずだからです。
 身勝手ではありますが、そう思ってしまうのは自然です。
 来世に生まれ変わりでもして、本格的に仕切り直してそこで改めて「はじめまして」ですよ!
 その機会には、素晴らしい人間に生まれ変わっていなければならないのは言うまでもありません。
 でも…来世ならうまく月の君との関係をやり通せるか?といえば、そこは疑問です…
 今世の記憶は持っていけないから(笑)
 当たり前のことです。「前世」の記憶なんて、ある人います?
 紫式部もわが身を顧みて、(前世の事なんて覚えていないわ…)と思っていたことでしょう。
 なので、今世の自らの記憶を、身が滅びても残せるようにと書き残す意図も、
 源氏物語の執筆動機の中に少しあったりして(笑)
 ((自分ではない)後の世の人のために、というのが第一でしょう、もちろん(笑))

 私は紫式部の味方だとずっと書いてきましたが、
 ここで少しだけ意地悪なことを書いてしまおうと思います…
 源氏物語は紫式部の時代から、とりあえず現代まではちゃんと伝わりました
 (未来にもきっと伝わるでしょう)。
 でも後の世の人が紫式部の思惑通りに救われるためには、
 紫式部と月の君のような関係性になってしまうふたりが、
 出会ってしまう前に、運命を感じてしまうことになる一方が源氏物語を読んでおいて、
 思わず運命を感じてしまう人と出会ってしまったらどうすべきかの結論を
 導き出していなければなりません。
 困ったことに、紫式部の思惑に沿って後の世の人は動けない可能性があるのです。
 未来は知りませんが、少なくとも現代の日本では、
 源氏物語を学校で扱うのは早くても高校以上らしいです(しかも「若紫」辺りしかやらないとか)。
 私が中学時代に、国語の先生から授業中の雑談?で聞いた言葉を記憶のまま書くと…
 「源氏物語っていうと、やっぱり色恋の話だから、中学生にはちょっと…」ということでした
 (今なら「先生、心配し過ぎ!」と思います…えげつない描写は無いですから(笑)
 かく言う私自身も、高2が終わりに迫った頃に初めて漫画でざっくり読んだのでした
 学校の図書室に置いてあったので(笑)コレと『あさきゆめみし』です)。
 そして、ある程度年齢を重ねて
 (イメージとしては50歳以上?JRの「大人の休日倶楽部」の入会資格的に(笑))から、
 「何事も遅すぎることはない、日本のことをもう少し知っておこうか!」と決意して読破を目指すのです。
 遅すぎるかもしれませんよ(汗)
 ひどい場合はその人の「月の君」とすったもんだして、
 関係が終わりきった後に源氏を読んでしまったりして…(汗)

 間に合えばどうすればいいのかの答えも、源氏物語には書かれています!なんと!!
 それが夕霧なのです…

 夕霧について説明するならまず、ここから始めるのが良いでしょう。
 光源氏と葵の上の子として生まれ、幼なじみの雲居の雁(頭の中将の娘)との長年の恋を一途に実らせた人物です。
 この間夕霧は、父光源氏のはからいで大学寮に入れられ、
 雲居の雁を女御として入内させたいと思っていた頭の中将には疎まれ、
 二人は想い合いながらも会うことさえままならない時期を乗り越えてきました。
 百人一首で例えるならズバリ、コレでしょう!
   瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
    (テキトウ訳…滝のように下る速い流れが岩に割かれても再び交わるように、あなたとの仲を裂かれても必ずまた会うつもりです)

 それにしても「幼なじみ」「大学寮」と、ここまでの月の君シリーズの流れからすると
 ドキドキするワードが見事にちりばめられていますね(笑)
 雲居の雁と夕霧の物語は、
 紫式部が月の君とこうなっていたら良かったのに…と思う理想をそのまま形にしたのかもしれません。
 これだけだったら純愛で素敵な話!なんですが、
 そこはさすが源氏物語というべきか…夕霧さまはコレだけじゃあ済まないのですよ!
 雲居の雁と離れ離れにされている間のある日、思いもよらぬ運命の出会いが待ち受けていたのです…


 今回はここまでです。
 本当に夕霧さまが登場しただけで終わっちゃいますが(汗)、
 続けるとシリーズの1回あたりの字数が過去最長になってしまいます…
 暑いので、程々のペースで行きたいと思います(汗)


2017年7月12日
 私の住む辺りは梅雨入り後もずっと嘘のように晴れ続けています。
 雨の特異日?七夕も、今年は雨が降りませんでした!
 今年の東京はついに空梅雨で終わるのでしょうか…(汗)

 晴れ渡る夏空に逆らうように、ドロドロと混迷を極める月の君シリーズ・前回の続きです(汗)


 光源氏は、藤壺の中宮が本当は源氏を愛していると感覚的に「確信」してしまっているのです。
 だからこそ、あんな無茶苦茶な行動をとれるのです。
 もちろん紫式部は、その確信は「誤り」と書かなければならなかったのでしょう。
 藤壺はそうした源氏の勝手な憶測を全否定し続けています。

 まだほとんど相手がどんな人なのかもわからないような頃であろうとも、
 相手の気持ちの隠された奥深いところが、くっきりと見えてしまうような錯覚…
 錯覚とは言っても、なぜか確信めいてそのように感じられ、
 もちろん、おかしいな?と理性的には思えるから錯覚と呼ぶのですが、
 他者である相手と、自分の距離感覚を正しく取れないような
 不可解な錯覚を覚えることがあったのかもしれません。

 恋は病とはよく言いますが、紫式部はそういう異常な錯覚に陥ったのでしょう。
 (中島みゆきさんの「二隻の舟(にそうのふね)」を
 ひとりで勝手にやらかしている感じと思ってください。
 ひとめぼれ以降、延々ずっと妄想が抜けないのです(汗)
 両想いの相手が伴ってこそなのに、イタいですね…)
 その一方で紫式部は月の君を前にしていた時期に、自分の感覚が異常な状態であると、
 幸か不幸かきちんと気が付けたのです。
 「人物重視で恋人を決めるべきところを、まだよく人柄もわからない人に強烈に惹かれるなんて、
 自分はこんなはずではない、やはり今の自分はおかしい」のではないかと。
 このような状態での判断力には自ら疑問を感じるのは当然です。
 特に希望的観測を集めた自分に都合のいい判断は、
 全て誤りであると判断しなければあまりにも危険なほどです。
 希望的観測によって自分だけが傷つくならともかく、
 それを踏まえて行動に移しでもしたら、相手の迷惑になる恐れがあり過ぎるからです。
 あとから月の君が、無事に?人柄の面でも素晴らしい人だとわかったとしても、
 わかったらなおのこと、異常な自分から大切な相手を守らないといけません。
 ですから、もともとのマイナス思考を差し引いてもなお、
 自分にとって都合が悪い状況判断を下すくらいでちょうどよかったのです。

 もともと紫式部のような学問好きは、筋道を立てて語っていけることや常識を好みがちでしょうし、
 日常的にあらゆる物事に対してそのように考えてきたはずです。
 「ふわふわしたもの大好き!常識なんかよりも、感覚的に気持ち良ければそれが私の正しさなの!」
 みたいな向きとは決して相容れなかったでしょう(清少納言?(笑))。
 あやふやなものには左右されたくないし、しないが基本姿勢です。
 それなのに、恋のようなふわふわしたあやふやなものに
 これほどまでに大きく翻弄されてしまったという動かしようがない事実は、
 本人にとって自分自身への失望につながるほど衝撃的なものだったでしょう。
 この世で最も忌むべき存在と自分が同類だったことになってしまうので…
 タイヘンなことになってしまった一因はこの辺りにもありそうです。

 それに「月の君には嫌われていて、両想いかもしれないと思ってしまうのは錯覚」という前提で
 源氏物語を書けば、紫式部自身も守られます。
 紫式部が想像できる中で最も恐ろしい月の君の心中は、紫式部に関心がないことではありません。
 それは、紫式部が月の君を想うのと同じ方向の気持ちを、
 すこしも劣らずに月の君が紫式部に向けていた場合なのです。
 おそらくいくつも考えられる可能性の中でも群を抜いて、
 決してあってはならない可能性だったことでしょう。
 自分が良かれと思って下した、月の君の前から去る決断が完全に裏目に出て、
 大切に思う人を最も傷つける結果を招いてしまったと、はっきり決まってしまうからです。
 少し紫式部の身になって想像するだけでぞっとしますね…

 その最も恐れる可能性こそが正解だったかもしれないと改めて思い至ったのが
 「めぐりあひて…」の歌の着想を得た時だったとしたら、
 その後はどうして生きていったらいいのかと悩むほどでしょう。
 とはいえ、相変わらず月の君の本音は雲にさえぎられた向こう側のままなのです。
 自らの感覚が異常なまま治っていなかった
 (普通の言葉では…恋心が今もって残っていた)ことも、改めて分かってしまったでしょうし…
 嫌われていればこの上なく迷惑をかけてしまった後ですし、
 もし好かれていても、これ以上ないほどに傷つけてしまった後ですから、
 今更、月の君の前に、自分の姿をさらすわけにはいかないのです。
 月の君に自分の気持ちが知られていなければ、黙って片思いし続けることもできたでしょうし、
 遠くでこっそり月の君の幸せを願ってもいられたでしょう。
 でもそれらのささやかな思いも月の君の立場になって考え直せば、
 「そうやってあの女から日々怨念が飛んできてるのか、気色悪い…」となりますので、
 してはならないことが明らかです(汗)
 自業自得ですが八方塞がりなのです…(泣)
 進むことも退くことももはやできない、全てが遅すぎる…
 でもそれならばこそ、源氏物語を書き上げなければならないと決意するためには
 十分な出来事になるでしょう。
 せめて自分と同じ失敗を後の世の人が繰り返さないように警発するしか、
 紫式部にできることはないからです。
 「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか」と。
 (しつこく『こころ』より。
 「恋は罪悪」って名言です(笑)月の君路線で読むと、完全に源氏物語の中心テーマですね)

 こんな恋なら、たった1人との経験で十分に源氏物語を書いていけるでしょうね。
 そんなに苦しい恋が生涯に何度もあるとも思えないですし…(あったら身が持たないですよ…)
 もっとも、月の君が遠くで不快に思っているかもと思えば、本当は書くべきでもなかったのですよね。
 源氏物語は思いの外?世間で好評を得てしまったので、
 その噂が耳に届けば、月の君は嫌でも紫式部のことが再び意識にのぼってしまうのです。
 やっと不快な思い出を忘れられたのかもしれないのに…
 紫式部にとっても、こんなつらい状況ですから、
 本当は月の君のことが意識にのぼらないようにできた方がいいのです。
 親子ほど年が離れていたといわれる藤原宣孝と結婚したのはそのためだったかもしれません。
 当時としても年が離れすぎていたでしょうに、
 縁があればと無理に結婚したようにしか見えません。
 でも、そうまでしても結局忘れることができなかったのでしょうし
 (月の君との「再会」は、歌に詠んで自らの歌集の巻頭に置くくらいの衝撃を受けたのですから、
 宣孝と結婚した後だったのでしょう)、
 無理に忘れようとしたり、すべてを胸のうちに封じようとしても、
 あまりの重さと量の想いが籠りますから…
 自分でも知らないうちに生霊が出ちゃうかもしれないのです!(←六条の御息所)
 何とかガス抜きしないと爆発しそうで恐ろしかったのかもしれません。
 元をたどれば誰かを好きになったことから由来する鬱憤ですから、
 せめて悪い形に発散されるのは避けたかったはずです
 (本来はそういう思いが鬱憤になることさえ避けたいところだったでしょう)。
 なので周囲にかかる迷惑が最も小さくなるように、
 少しでも害のない形に変えたガス(源氏物語)として排気?したのでしょう。
 いずれにしろ月の君には迷惑な毒ガスに他ならなかったでしょうが…(汗)

 源氏物語を書き始めたのは、宣孝の病没により、
 わずか3年ほどの短い結婚生活が終わってしまった後で間違いないと思います。
 夫が健在のうちから、昔好きだった人のことを思い浮かべながら物語を書き始めるなんて、
 紫式部の人柄を考えればあり得ないことです。
 もちろん、月の君とも会うことや連絡を取ることが完全にできない状況で、
 かつこちらも縁が切れてから十分な時間が経っていることが大前提です。
 「まァ、昔の事よ!」という無敵の免罪符が絶対不可欠なのです。
 それは万一の不測の事態に備えるために、そして紫式部本人の気持ちに区切りをつけるためです。
 なにしろ浮いた話が何一つ伝わっていない紫式部のことです。
 月の君に会えるかもしれないという期待をわずかにでも持っていたうちは、
 このような自身の心境の深い部分に触れるような思い出話は、
 創作の中に例え話としてさえ書くことはせず、胸の内に隠し続けていたでしょう。
 たとえ打ち明けるにしても、月の君ひとりにしか明かしたくなかったはずです。
 紫式部はそうしながらずっと待っていたのだと思います。
 自らの異常な確信が、錯覚ではなかった証拠が得られるのを。
 月の君が偶然や、近くに来たついでや、仕事上の?やむにやまれぬ用事で仕方なく…などではなく、
 「自分と会おうとして会ってくれたんだ」と疑いなく思える機会が1度でもあれば、
 それが証拠になりえたのです。
 でも会えなくなった後は、本当に縁が切れたという感じで全く偶然見かけることさえなくて、
 「めぐりあひて」の時は本当に何年も待った後のたった1度で、
 しかもその後が続くことはなかったのでしょう。
 つまり、「月の君は紫式部のためだけに、時間や手間をわざわざかけてまで会うつもりはない」。
 これで十分です。
 どんなに違う風に曲解したくても、錯覚は錯覚だったと納得するほかなかったのです。
 もし月の君が源氏物語を読む事があれば、
 紫式部の犯した罪が、嫌われているのに近づこうとしたことか、
 好かれているのに遠ざけてしまったことかのいずれであったにせよ、
 罪を認めて贖おうとした証として受け止めてもらいたかったのかもしれません。

 補足ですが…月の君が自らの本心を紫式部に、(故意か偶然かは別として)ほのめかしていたとしても、
 受け手の紫式部がこのように自分を信じられない状態ですから(汗)、
 ほのめかしでは紫式部は如何ともしがたいのです(←ほのめかされたものが「嫌い」なら信じられます)。
 紫式部だけが勝手な片思いで一人で際限なく盛り上がっているのを、
 誰にでも分け隔てなく優しい月の君が仕方なく合わせてくれているだけ…という可能性を打ち消せないのです。
 …袋小路みたいですね。


 …ううっ(汗)
 もう完全に胸やけですね… orz

 さて!次回はいよいよ、ヒーロー夕霧さまが登場の予定です♪
 気持ちを切り替えて爽やかに繋いで行きたいところです。


2017年6月28日
 前回の続きです。
 今回は前回に比べて長いようですが、
 分割すると今度は細切れになってしまうので、そのままどうぞ(?)


 さて、源氏物語ファンなら1度は「輝く日の宮」巻の話を聞いたことがあるでしょうか。
 現代に伝わらなかった幻の巻と言われています。

 「桐壺」と「帚木」の間の時期にあたる話、
 つまり光源氏と藤壺が最初に密通した場面や
 光源氏と六条御息所とが出会って関係を深めるまで、
 他には朝顔の斎院の初登場などが書かれていただろうと言われています。
 輝く日の宮とは、藤壺の美しさを作中で世の人が讃えた言葉です。

 この巻が無い理由については、散逸したのだろうとか、
 何かの事情で消された(!)のだろう…などと言われているようです。
 他にはこういう可能性も考えられるでしょう。
 紫式部の考えていた源氏物語の世界には、この部分の話も当然あったものの、
 何かの理由でそのまま書かれることがなくて存在していない、という可能性です。
 もともと源氏物語はどの巻から書き始められたのかもよくわかっていないようです。
 つまり桐壺巻から書き始められたとは限りません。
 当時の宮廷の源氏ファンたちが、今と違って時系列に沿ってではなく発表順に読んでいたならば、
 紫式部に「次は○○の話が知りたい」とリクエストすることもあったでしょう。
 その○○の中に、「『桐壺』と『箒木』の間ごろの時期の『輝く日の宮』」があっても不思議ではありません。
 「箒木」の雨夜の品定めには、
 絶対に人に見せられない手紙(藤壺からの手紙?)は別の場所に奥深く隠してあるだろうから…
 (やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、
 かやうにおほぞうなる御厨子などにうち置き散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば)

 と、藤壺とのただならぬ関係がこの時すでに始まっていたように読める内容があるので、
 当時の(今も?)源氏ファンたちは大いに期待したことでしょう。
 紫式部はリクエストを受ける度に、
 「いずれ書きましょう、『輝く日の宮』の話も」などと答えてはいたものの、
 結局実現しなかったので、「輝く日の宮」がタイトルのように伝わってしまったのではないでしょうか。
 おそらく紫式部は「桐壺」と「箒木」の間の時期に、
 輝く日の宮のことで読者の期待に応えられるような話を書くことができなかったのでしょう。

 理由はコレでしょうか??
 思い出してもみてください…紫式部が藤壺の出家辺りの場面を早送り再生で飛ばし、
 作者の自分が歌を書かなかったのに、もったいないわねえとか書きやがった(!)ことを(笑)
 (だいぶ前に書いた話なので…詳しくはこの回で)
 あの時のように思い余ってついに何も書けなくなったのでしょうか。
 (少し話がそれますが、「雲隠」がタイトルだけで本文がないのはまさに、この理由でしょう!
 勅命で削除されたなんていう伝説もありますが…
 光源氏(=月の君)がお隠れ…なんて、書きたくなくて書けないですよ(涙))

 そうではなくて、紫式部の考えていたその時期の話には、
 読者が期待するような内容が元々含まれていなかったのかもしれません。
 紫式部は、
 (みんなワクワクしてるな…でも…みんなが期待しているような事は無いんだよなあ…
 期待を裏切っちゃうくらいなら、今度今度って言いながら逃げて、書かないままにしておいた方がいいか…)
 などと考えて、書かずに逃げおおせたのかもしれません。
 要するに皆が期待した、源氏と藤壺のただならぬ関係はこの頃まだ始まっていなくて、
 幼い日々からの延長線上のような関係のままだったとも考えられるのです
 (ひねりはなく、2人の最初の密通が「若紫」に書かれている話ということです)。
 だって相手は、やがては中宮になる女御ですよ。
 たとえ思っているだけでも、そういう気持ちを持つこと自体が苦悩すべき罪なのです。
 「よござんすか」!(夏目漱石『こころ』より(笑))
 紫式部に言わせればきっと、最愛にして禁じられた相手である藤壺とのやり取りならば、
 ありふれた季節の挨拶的な内容しか書かれていない手紙ですら、
 刺激的すぎて絶対に人に見せられないものなのです。

 …お伝えできているでしょうか?
 紫式部もふと、そういった疑問が浮かんだことがあったでしょう。
 誰かをとても好きになってしまったなどという、あまりにも個人の内面的な経験の顛末に、
 恋を想像でさえしたことがない人にも伝わる一般的な説得力を持たせて書くのは至難の業と言えます。
 自らの失敗を繰り返させないためならば、
 まだそういう経験がない人にこそ分かってもらえるように書いた方がいいのですが…

 輝く日の宮の話と同じく「桐壺」と「箒木」の間の時期の、
 源氏と六条が出会って、源氏が積極的に六条を熱心に口説いて、
 六条も初めは拒もうとしたけれど…的な話も書かれていないのは、
 この、話に説得力を持たせられるかということに不安があったからかもしれません。
 つまり、今書いた「源氏が積極的に〜初めは拒もうとしたけれど…」という、
 私たち普通の読者が簡単に想像できる筋書とは全く違うことが、
 紫式部の構想にあったのかもしれないのです。

 その構想こそが、紫式部と月の君との関係の始まり(馴れ初めとまでもいえないものかもしれません)と、
 2人の関係がうまくいかなくなる前までの経過の全てだったのでしょうか。

 そこには書き表すほどの経過すらなかったのかもしれません。
 紫式部は月の君を知るか知らないかというほどのわずかなうちに、
 激しい感情の揺らめきに翻弄され始めてしまったのでしょう。
 …今風に平たく言えば「ひとめぼれ」のようなものです(汗)
 (急にひどく陳腐になりましたね…(汗)そしてひらがなで書くと妙にお米っぽいですね(笑)
 でも、何となくこのままひらがなで行きます…)

 そもそも平安時代の恋愛は、お姫様の側に仕えるお付きの人たちが
 「ウチのお姫様はステキなんですよ〜美人で和歌が上手で」
 …などとまず噂を流して、
 殿方がそれに興味を持ってアプローチしてくるのを待つのが始まりだったようですね。
 噂を聞いた殿方は気になるお姫様に和歌を詠んで贈ります。
 贈られた和歌はお姫様より先に(?)お付きの人が読んで、
 この方はセンスが良いわね、この方はセンスが悪いわね…とある程度ふるいにかけたり、
 最初のうちはお姫様の代わりに和歌を代作して殿方に返事をしたりして、
 やがてお姫様自ら返事の歌を詠むようになって…と長いプロセスを踏む場合もあったみたいです。
 何が言いたいかというと、お姫様の側から殿方を好きになってアプローチすることはなく
 (↑たいへんはしたないことなのです…
 夕顔の人物解釈では「ああ見えて超・肉食系女子か」と大きな問題になりましたね…)、
 そして恋の相手は人柄重視(←家柄も重要な要素ではあります)で選ぶということです。

 このような常識の中で、ひとめぼれへの抵抗感は現代よりもずっと大きかったことでしょう。
 女性からのひとめぼれなんてあってはならないくらいでしょうね。
 特に紫式部のようなカタブツは気にするでしょう…
 そうはいっても、基本的に御簾の中で過ごす女性からしか男性の姿は見られないので、
 女性側からしかひとめぼれしようがありません。
 (源氏が若紫にしたように、塀の隙間から覗けるチャンスがあれば別です)

 ひとめぼれと言っても、ルックスが限りなく好みだった…ということには限りません。
 (月の君が実際イケメンだったら、その点でも紫式部のようなヤツは
 あとでじわじわと精神的に大きなダメージを負うかもしれません!?
 イケメンのお坊さん(説法の講師)の話じゃないと聞く気になれないわ!と言い放つ清少納言とは違うのですよ)
 そして、初めにひとめぼれの「ようなもの」と書いた通り、
 厳密にはひとめぼれではない場合も含んでいいでしょう。
 知ってから好きになってしまうまでの時間が比較的短かったので、ひとめぼれ同然だとか…
 難しいですが、例えば…
 見た瞬間好きになってしまうような好みのルックスではなかったり、
 ルックスはともかく、それ以上に一見した雰囲気があまり良くなかったりして、
 第一印象がマイナスイメージからのスタートになりかけ…たものの、
 ふと相手の目を何の気なしに覗き込んだとたんに、
 (あーっ…この人だ…)というような、まあ、何が「この人」なのかわからないけれど、
 とにかく急にそういう謎のインスピレーション?がきたというような…
 そのあとは強烈に興味を惹かれて、相手のことが頭から離れなくなって、
 あまりの激しさに、これが恋?なんか違うような気もするけれど…まあそうなの…かな!?きっとそうだね…
 と、自分を翻弄する激しい感情の揺らめきを迷いながらも恋だと仮定(のちにとりあえず断定)したのです。
 …なんか例え話のクオリティーが低いようで恐れ入りますが(汗)、
 こんなような、本人ひとりにだけは神秘性が感じられるような強烈な始まり方でないと、
 光源氏に寄せる六条の御息所の思いや、藤壺の中宮に寄せる光源氏の思いは説明できない気がします。
 作中では一応、源氏と藤壺の初めを、
 源氏が周りの人に「亡くなったお母さん(桐壺の更衣)に似た人だね」と言われて気にし始めて
 …としていますが、
 ソレだけでああはならないでしょう…だから読者たちは「源氏ってマザコンなの!?」と困惑するのです。
 まあ、源氏がマザコンだとしても(笑)、いくらなんでも藤壺への想いは激しすぎると思いませんか?

 とはいえ、全くもって説得力に欠けますね…
 ホント、作中に書かれていなかっただけのことはあります(!?)
 あの紫式部が…そんな……ねえ?
 ここまできたら、おまけの念押しも書いておきましょう…
 光源氏は美男で、藤壺も美女でしたが、このような衝撃の出会いをした後は、
 次回以降に見かけたときに月の君(光源氏)の身なりが少々ヨレていようとも、
 無精ひげがひどかろうとも
 (あくまで「たとえ」ですからね…平安時代ごろに無精ひげっていう概念があるかはわかりません…
 でも平安末期の源氏物語絵巻や、続く鎌倉時代の?伝源頼朝像とか見ると、
 少なくとも頬ひげは見当たりません)
 …あとは何でしょうね、まあコレくらいにしときますが…
 そんなことによって好き嫌いが左右されることは、もはやないのです。

 しかも厄介なことにこれだけでは済まなかったのでしょう…
 「しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ」(再び『こころ』より(笑))という感じです(汗)


2017年6月23日
 しばらくほぼ週1で更新してましたので、久しぶりな感じです…
 ヘンに間が空いてしまったようになりましたが、別に何も深いわけはありません(笑)
 (ちょっと休みたかった&ストックが尽きたのです…)
 それではお待ちかねの(?)、前回の続きです。


 月の君を好きになりすぎてしまった…といっても、
 質や量を自分の意思で調節できるはずもありません。

 湧き上がってくる想いの量を出し惜しみするなんて、
 それこそが惜しいと感じるようだったことでしょう。
 紫式部にとって月の君はこの上ない人なのです。
 それこそ自分が持って生まれた一生分の、誰かに恋をする力の全てを、
 月の君のために使い果たしてしまっても構わないほどだったでしょう。
 実際、使い果たしたかもしれません。
 (月の君との縁は、「めぐりあひて」の詞書の「はやうよりわらは友だちなりし人」という書き方から考えると、
 夫・藤原宣孝に出会う前の時期に始まり終わっていたはずです。
 紫式部はただでさえ当時の婚期を大きく過ぎていたので(汗)世間体?もあるし、これで最後かもしれないご縁だからと思えば、
 恋心のようなものは特にないままでも宣孝と結婚してしまうでしょう。
 宣孝から見れば既に3人目、しかも宣孝より年下とはいえ年増の紫式部が大切な妻になるはずもないですし、
 自分の気持ちがこんなでもお互い様でしょうと、いうわけです。
 もちろん結婚した以上は、夫として大切に向き合ったとは思います…空蝉みたいに)


 うわあ…質もガッツリ重いですねえ…(汗)
 こんな思いをそのまんま向けられたら、月の君はとても困るでしょう…
 紫式部を良く思っていなければ非常に不快ですし、
 たとえ「少しは好きかも?」の範疇の気持ちを抱いていたとしても、
 こんな思いを向けられていると知ったら途端にドン引きですよ…
 そのあたりは紫式部もよく心得てはいたはずです。
 色々苦しいですが、せめて想いを相手に見せる量だけは何とか抑えようとするでしょう。
 自分の月の君に対する気持ちが、月の君にはとても受け止められないほどのものであることは、
 分かり切っていたのです。

 源氏物語で想いが重すぎる登場人物と言えば、六条の御息所が最初に数えられるでしょうか。
 六条の御息所はその重さが原因となって、
 葵の上と同時進行で醜態をさらし、源氏に嫌われるに至った女性でした。
 「夕顔」には六条の人柄について、このように書かれています。

 物事を極端なほど思いつめるような性格なので(いとものをあまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて)
 源氏の君が会いに来ない日が続くと、
 あれこれと悩んで気分がふさぎ込むことが多かった。

 あまりに情愛が深く、会う人(源氏)が息苦しくなるような様子(あまり心深く、見る人も苦しき御ありさま)
 (「心深く」は「思慮深く」とも訳せますが、
 この時の源氏と六条はすでに深い関係だったので、
 それを踏まえて「情愛が深く」ということにしておきます)

 ここだけ抜き出すと葵とそっくり重なるように見えますが、
 葵と六条は感情の向かう方向が逆のように思えます。
 葵が引く方向(どうせ私の事なんて嫌いなんでしょう)なら、
 六条は押す方向(見境もなくひたすら源氏が好き)という具合です。


 六条のように見境もなく、正確に言えば、相手の気持ちへの配慮すら抜け落としながら、
 想いをそのまま相手にぶつけてしまった人物が源氏物語の中には他にも登場します。
 他でもない、主人公の光源氏その人です。
 光源氏が「賢木」で最愛の人・藤壺の中宮に向かって突き進んでいった時の様子がまさにこれなのです。
 藤壺はこの時、あまりの源氏ストレス(!)で胸が激しく痛んで(肋間神経痛?)苦しみ、
 あまりの症状の重さのために「僧を呼べ」騒ぎになるほどまで追い詰められてしまいました
 (当時の「僧を呼べ」=現代の「早く119番通報して」)
 この騒ぎの間、源氏は人に見つからないよう、
 藤壺に仕える女房達に塗籠(タンスみたいなもの)に閉じ込められていました(汗)
 女房達は源氏を人目から隠しつつ追い帰したかったのですが、それがうまくできずにいたのです。
 そして夕方遅く、ようやく症状が収まって休んでいた藤壺に源氏は再び忍び寄ります…
 源氏は藤壺への長年の恋で自分自身が苦しいと思うばかりで、
 藤壺をほかでもない自分が、これほどまでにも苦しめたという事実を全く理解していない様子でした。
 いきさつのすべては目に映っているはずなのですが…
 あまりにも感情が先走って、理性がどこかへ消えてしまっているのです。

 このように書かれていますが、月の君が紫式部に対して何か強引なことをしたというのではないでしょう。
 2人の間で何かあったとすれば、それは紫式部が原因を作ってしまったと考えられます。
 月の君は責めを受けるようなことを、紫式部に何もしていないはずです。
 さもなくば、紫式部は源氏物語を書く動機が揺らいでしまうからです。
 月の君、すなわち光源氏の外面を形作るプロフィール(身分、才能、容貌、愛され力?完備)は、
 紫式部から見た月の君のイメージそのものだったでしょうが
 (繰り返しますがイコールということではないでしょう)、
 知る由もない、他者である月の君の胸中すなわち光源氏の内面には、
 紫式部自身を映しこむほかないのです。
 …だから、光源氏ってあんなに悪い人なのですね(笑)

 紫式部は明らかに月の君の気分を害するようなことを、
 先走る感情に引きずられて、しでかしてしまったのでしょうか。
 「害するような」という穏やかな範囲でなく、
 「害してしまった」とはっきりと確信できるほどだったのかもしれません。
 でも、そのしでかしてしまったことが何だったのかまでは、どこからも読み取ることができません。
 …せいぜい前々回のニンニク事件でしょうか?
 (賢木で光源氏が藤壺にしたことを、
 そっくりそのまま紫式部が月の君にすることは時代的に難しいと思います)

 何をしたのかよりも今ここで重要なのは、
 「そのような相手の気分を害することをしたら、相手にたやすく嫌われてしまう」ということでしょう。
 もともと、超絶マイナス思考のスペシャリスト・紫式部にとっては、
 月の君に好かれているかもしれないと思える希望的観測を数えるより、
 嫌われる理由を数える方がしっくりくるように感じられたはずです。
 そうして2人の間の出来事から集めた嫌われる理由をもとに、月の君の心中を推し量ると、
 相手によく思われていないという答えが当たり前に導かれたことでしょう。
 そもそも、状況判断には慎重を期さなければならず、
 なおさらユルい希望的観測は、思っても無視せざるを得なかったのでしょう。


 …少し中途半端な感じですが、この続きは長くなるので今回はここまでです。
 いつになったら夕霧の話が書けるでしょうか…書かないと終われないのに(汗)

 確認ですが、この月の君シリーズを紫式部の味方として書くことは、
 恋を美しく幸せなもの、そして「神聖なもの」(夏目漱石『こころ』より)
 として書いてはならないということです。
 「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか」(←同じく『こころ』より(笑))
 そんな感じでこの後も力の限りビシバシ行きたいと思います。


2017年6月1日
 前回の続きです。

 それでも紫式部自身は、
 「女はバカが良し!(←バカ女の方がかわいく見られてモテる)
 自分もそうなればよかった…」という風には思っていなかったようです。
 それは、光源氏から一番寵愛を受けていると対外的に思われていた紫の上が、
 教養を持つ賢い女性だったことから察せられます。
 紫の上は、光源氏が自らそのように成長するように教育したのです。
 もちろん光源氏が無上の人と見ていた藤壺の中宮も、
 同じようであったことは疑いようがありません。
 紫の上を藤壺の中宮のように育てようとしていたくらいですから!
 まあ、たしかにどんな話題を振っても「え〜わかんな〜い」では、
 話していても面白くありませんからね…(汗)

 そもそも紫式部は「モテること」に価値を感じてはいなかったでしょう。
 「モテる=たくさんの人が自分を相手に勝手に片思いしている状況」と解釈すれば、
 たとえ、都中はもちろん近隣諸国中からモテたとしても、全てが全く価値のないことなのです。
 この人からこそはと願っている、
 その特別なたったひとりが自分に気持ちを向けてくれることだけが望みなのです。
 他の誰かなんて、本当は初めから全員要らないんですよ。
 そういうことなのです。
 だから、たとえ他人がどんなにモテる自分を羨んでいたって、虚しい限りなのですよ…
 誰の事っていったら、そりゃあ、もちろん光源氏のことです!
 ヤツは藤壺以外は皆、物の数にも入りません…(汗)
 紫式部は主人公の光源氏をわざわざこのように描いていたのです。

 これがそのまま、月の君を想う紫式部の本音でしょう。

 自分を好きになってくれる人は月の君たったひとりだけでいいのです。
 もし他の人が自分に好意を向けたとしても基本的には、どうぞご勝手に…なのでしょうが、
 下手に(?)モテでもして、ただでさえうまくいっていない月の君との関係に水を差されるようでは、
 大迷惑です…
 その人がこんな自分に好意を寄せてくれたこと自体に、
 それなりに感謝しなければならないと思えたとしてもです。
 ここまで考えるとむしろ、自分を好きになってくれるのは月の君一人だけがいいのです。
 …紫式部が本当はすごくモテていたという事ではありません。
 そんなことはさすがにどこにも書いてありませんよ(笑)


 そしてこちらは前々回からの続きにもなります。
 そもそもなぜ紫式部は超絶マイナス思考になってしまったのか…
 そのヒントは、作中で竹取物語について触れている箇所が参考になりそうです。
 (ただでさえ月の君の話をしている以上、
 「月」と「とめがたき秋の別れ」について書かれた「竹取物語」に触れずには済まされませんね!)

 紫式部は「絵合」で「物語の出で来はじめの祖なる『竹取の翁』」と竹取物語について書いています。
 竹取物語が「物語の出で来はじめの祖」というのは当時の一般論だったのかもしれませんが、
 しいて否定する理由も紫式部にはなかったのでしょう。
 有名な物語論を書いた紫式部ですから、この手の話には敏感に反応しそうなものです。
 否定せずにそのまま書いているということは、賛成していることになるでしょう。
 「物語の出で来はじめの祖」という表現を省略しても意味が通るのに、
 わざわざ書いている事自体からもうかがえます。
 もっとも竹取物語そのものを高く評価しているかまではわかりません。
 というのは、竹取物語を描いた絵を源氏方に出させ、
 この場面で竹取について書いた字数は、相手方の宇津保物語の倍くらい多いですが、
 なんと宇津保の絵と競って負けています(汗)
 「月」と「とめがたき秋の別れ」に、
 ひとかたならぬ思い入れがあるはずの紫式部にしては奇妙な印象です。
 しかし、そのような深い思い入れさえかき消すものを竹取に感じていた様子が、
 作中の竹取評からうかがえます。

   かぐや姫が天にのぼるというのは清らかで素晴らしいが、
   竹から生まれたので、生まれの高貴さに欠ける。
   一つの家(翁と媼の家)の内を照らしはしたが、
   百敷の光(帝)に並ぶ光(妃)になれなかった。
   偽の宝をめぐる話もよくない。

 注目すべきは、何でもない普通のひとつの家の内を照らしはしたが、
 帝すなわち国の光に並ぶ光になれなかったという部分です。

 紫式部は、幼い頃に漢籍の才能を漢学者だった父に高く認められていたと
 紫式部日記で振り返っています。
 まさに、ひとつの家の内では輝く光そのものだったのです。
 ですが、漢籍の才能を役立たせられるのは、政治家として活躍する機会がある男性のみでした。
 紫式部の父も
 「もったいない、この子(紫式部)を男の子として持てなかったことこそ不幸せなことだ」
 といつも嘆いていたというのです。
 漢籍に明るい優秀な政治家が、国の光に並ぶ光であることはいうまでもありません。
 もちろん紫式部の父が本当はどういう気持ちでそういう言葉を発していたかはわかりません。
 単に(女の子だった)紫式部を褒めるために、男の子を引き合いに出しただけだったのかもしれません。
 でも人の心中を読む経験値が足りないような幼い頃のことだったので、
 紫式部はひとつの言葉に他の意味があるかもしれないとは夢にも思わず、
 父の言葉を額面通りに受け止めたのです。
 それが彼女の精神面に暗い影を落としたであろうことは想像に難くありません。
 男の子に生まれて、生まれ持った漢籍の才能を生かし、優秀な政治家になるという、
 叶えることのできない願いでしか埋めることのできない穴が、心の中に開いてしまったのです。
 そしてそのような父の様子を繰り返し見ていたために、
 女なんかに生まれてしまったばかりに父をそれほどまでも嘆かせる私、
 と自身のイメージを刷り込んでいったことでしょう。
 イメージは歳月を重ねるうちに整理と一般化がなされ、
 「私は大切な人を不幸せにしてしまう価値のない存在」なんだというものに変わり、
 いつしか紫式部の自我の底に深く刻み込まれていたことでしょう。

 やがて、出会った月の君が紫式部にとって「大切な人」になった瞬間、
 「私は月の君を不幸せにしてしまう価値のない存在」と
 簡単な穴埋めクイズを解くように自動的に決まってしまうのです。
 月の君のそばになんて居ていいはずがありません!

 そうはいっても紫式部の漢籍の才能は、言うまでもなく源氏物語を書き上げるという、
 他の人には真似できない大仕事を成し遂げるのに少なからず役立つものでした。
 そして、紫式部本人にとってもかけがえのない才能だったはずです。
 その才能は自らの(たったひとつの)美点として父のみならず世間にも広く認められたことになり、
 私は生きていていいのだと、
 自他共に認める自らの存在価値そのものだったことでしょう。
 彼女にとってはたったひとつの生きる支えと言っても差し支えないかもしれません。
 月の君との関わりの中では役立ったのか役立っていないのか、よくわからない才能ですが、
 特に、月の君との関係を有利に進めるためには、
 隠すか捨てるかした方が良かったのかもしれなかったのですが、
 これ無くして紫式部は存在していられないのです。
 もとより「源氏物語を書く才能」と「漢籍の才能」はイコールでは結べません。
 源氏物語の作者としていくら認められても、
 彼女にとっては漢籍の才能そのものを望んだ場所で生かせたわけではないので、
 幸せなことではなかったでしょう。
 私たちが重要視しがちな源氏物語を書く才能は、
 紫式部にとって漢籍ほどの価値はなく、どちらかというと無くても構わないものだったかもしれません。
 漢籍で身を立て、名をあげられさえすれば。
 それは究極の選択…例えば、月の君と結ばれることか、漢籍の才能を世に役立てることか、
 どちらかひとつだけ願いが叶うとしたら、
 迷わず漢籍を選ばざるを得ないくらい切実な、そういう性質の問題なのです。
 (こういう面倒な問題が無くても、紫式部は単純に学問が好きだったとは思います)
 父の嘆きの褒め言葉(?)は、適応範囲が本来の意味さえ超えて自動で無限に広がるような、
 タチの悪い呪いとして紫式部にかかってしまったのです。
 でもこの呪いこそが、源氏物語を書く才能が開花するきっかけだったかもしれないのでしょうね…
 全ての経験が無駄にならないとはもちろん言えないでしょうが、
 何がどういう風につながって、どういう形で実を結んでいくかは簡単にはわからないものなのです。

 紫式部は、光源氏の客観的な人物造形(身分、才能、容貌、愛され力?)を
 ほぼ完全無欠に設定したように、
 月の君をこれ以上ないほどの素晴らしい大切な存在と思っていたことでしょう
 (月の君が光源氏そのもののような人だったという意味ではないですよ!
 多少の雰囲気はあったかもしれませんが、
 紫式部の主観なのでアテになりません…あばたもえくぼ的な意味で。
 大体光源氏そのものでは、悪い人ですよ!)。
 でも、それがまた紫式部の不幸を招いたのです。
 紫式部が月の君を愛すると、月の君を貶めることになってしまいます。
 大切な月の君を、価値のない人間でも手が届くかもしれない存在だと、
 みなしたことになってしまうからです。
 (ということは、紫式部はそばにいることにした相手のことを、
 つまらない人と見なしていたことになってしまいます…!
 空蝉が夫を物足りなく感じていたように(「大切」には思っていましたが)。
 言うまでもなくこれは相手に対してとても失礼な態度です。
 自分自身が大したことないくせにそれを棚に上げた上で、他の誰かを馬鹿にして軽んじるような、
 人間性のヤバさが浮き彫りになります…(汗)
 本人はこの辺りを自覚していたでしょうし、その自覚がまた苦しみを生んだことでしょう。
 憧れてやまない人に好かれなくて当然だと)

 そんな素敵な月の君の隣に並び立てるのは、素敵な女性でなければあり得ないのです。
 もし少しでも欠点があるような女性がそこにいたら、嫉妬を通り越して怒りすら覚えることでしょう。
 「私の方がマシだよ、なんであんな女と!」…と(怖)
 でも紫式部自身こそが、基本的に月の君のそばに立てない女性の筆頭なのです…
 他でもなく紫式部自身がそう思っているのです。
 源氏物語の主人公の光源氏の、最もそばに一番長く居られた紫の上が、
 完全無欠系ヒロイン(容貌良し・性格良し・頭良し・家事能力高し)だったのは、
 そういうわけでもあることでしょう。

 ここまで書いてきたように、紫式部の中では、
 月の君のそばに居たいのか、居たくないのか、
 月の君に好かれたいのか、嫌われたいのか、
 それさえもグシャグシャになってしまっているのです(汗)

 こうなってしまったのは、月の君を好きになりすぎてしまったために他なりません。
 このように月の君に対する気持ちが質・量ともに重すぎてしまったことも、
 月の君との関わりで紫式部が失敗したと思う部分なのでしょう。


2017年5月25日
 前回の続きです。

 月の君の存在を念頭に源氏物語を見ていくと、
 光源氏と葵との関係がうまくいっていない最中に、
 光源氏をはじめとする男性陣が集まって、
 理想の女性像を語り合う「雨夜の品定め」の場面があることは意味深です…
 しかもこの雨夜の品定めの中には月の君を語るうえで大変興味深い内容が見えます。

 「藤式部丞(とうしきぶのじょう)」なる人がいきなり登場し
 (しかも源氏物語の他の場面に、この人は多分出てきません)、
 昔、文章生(歴史や漢文などを大学寮で勉強中の官僚候補生)だった頃に出会った女性との思い出を語るのです。
 その女性とは、この藤式部丞が教えを受けていたある博士の娘でした。

 さて、紫式部の女房名は「式部」だったといわれます。
 これは父・藤原為時の「藤」と、為時が任じられていたことがある官職の「式部丞」に由来するものです。
 しかも為時は漢学者…これは何かありますね!
 まさに彗星のごとく現れて消えた(!)登場人物の藤式部丞は、作者の紫式部本人と強い関係が感じられます。

 「式部のところには、変わった話があるだろう、すこしずつ(わかりやすく)聞かせろよ
 (式部がところにぞ、けしきあることはあらむ。すこしづつ語り申せ)」と促されて、
 語り始めた藤式部丞の言葉によると、その思い出はこのようなものでした。

 ――先生の娘に少し声をかけたところ、思いがけず親しくなってしまった。
 自分はそこまで本気ではなかったのだが、娘の方は自分をとても好いていた。
 やがて先生が2人の関係を知ると、ぜひ娘と結婚をと言ってきた。
 相変わらず気が進まなかったが、先生に遠慮があるので、
 面倒に思いつつも娘との関わりを続けるしかなかった。
 娘は学問が良くでき、会う度に自分の出世に役立ちそうなことを色々と自分に教えてくれた。
 漢文の手ほどきも、娘を先生役にしてたくさん受けた。
 その恩をありがたく思う気持ちは今も当然あるが、
 この娘には結婚すればその後も、自分の劣った振る舞いが目に付くだろうから、
 それが恥ずかしくて、心を許せる妻にはとてもできないと感じていた。
 その後なんとなくしばらく足が遠のいていたが、ある日用事のついでに立ち寄った。
 するとその日娘は急に、よそよそしい態度を見せた。
 今この娘が、自分に恨み言を言ってきたらさっそく縁を切ってしまおう、いい機会だと自分は内心喜んだ。
 ところが娘は嫉妬や恨みを見せるわけではなく、
 その代わりに意味の分からない口実を並べ立てて自分を追い帰し、
 それでいてつまらない歌をよこしたのだった――

 はっきりとは書かれていませんが、
 藤式部丞と博士の娘の縁は、雨夜の品定めの時にはすでに切れていて、
 遠い過去のものとなっていたのでしょう。

 意味の分からない口実というのは、
 「私(博士の娘)は風邪をひいて薬草の蒜(ひる・ニンニクのこと)を食べたんで、
 臭くて会いたくないんです」
 といきなり早口に言い始めるというものでした。
 返事に困った藤式部丞が「わかりました」とそのまま帰ろうとしたら、
 「臭いが消えた頃に来てほしい」と言い出し、
 本当に堪えがたいほどのニンニクの臭いが漂ってきたのです…
 少し不自然な話ですよね。
 たとえ薬としてよほどニンニクを食べたとしても、
 体から堪えがたいほどのニンニクの臭いが出てくるというのは信じがたい話です(笑)
 ニンニクですから、食べると多少臭うことはあるでしょうが…?
 ですので、刻んですり潰したニンニクそのものを、
 たくさんその場に置いていたんじゃないでしょうか。
 つまり「風邪をひいた」はウソでしょう。
 藤式部丞も風邪が嘘だというのは気づいたでしょうが、
 とにかくひどい臭いでしたし(汗)そもそも娘とは早く縁を切りたいわけですから、
 「わけのわからない口実を言うあなたとは付き合い切れません」
 という内容の歌を残して走り去り(!)ます。
 すぐに返ってきた娘からの歌は(使いの人に歌を書いた文を持たせて追わせたのでしょう)
 「毎日会うような仲だったら、ニンニクのにおいなんて気にせずに会えるのに」
 というものです。
 ニンニクは何かの駆け引きのつもりだったのでしょうか。
 博士の娘は物知りで学問こそよくできましたが、恋愛方面では壊滅的に不器用だったのですね…
 「嫉妬や恨み言は嫌われる」と通り一遍の理解は知識としてあるけれど、
 実際にこのような場面でどうすればいいかはわかっていない…のです。
 歌がすぐに返せたのも「頭がいいから歌なんてすぐに詠める」という
 藤式部丞の想像通りではなかったのかもしれません。
 藤式部丞の訪れを待つ日々の中で「ひる」という言葉を読み込んだ歌を、
 いくつも予想問答集みたいに用意していたのかもしれません…

 これを聞いての周囲の感想は、
 「そこまでヘンな女いるはずがないから、藤式部丞の作り話でしょ〜?」
 「訳わかんないよその女、気持ち悪すぎ」
 「もっと面白い話はないのか!」
 というものでした。
 周囲の突っ込みの妙なとげの鋭さは、葵のときと同じものを感じさせます。
 そして、その突っ込みを受けての藤式部丞の返事は、
 「これより珍しい話があるでしょうか(これよりめづらしきことはさぶらひなむや)」
 というものです。
 作り話ではなく本当の話だというのでしょうか。

 なんだか、ニンニクのインパクトが強すぎて、話の要点を忘れてしまいそうです(汗)
 紫式部がどういう意味で蒜(ニンニク)を出してきたのかはわかりませんが、
 たぶん話の要点ではないです…(月の君ならわかるのでしょうか??)
 まあ、ニンニク臭い話が現実にあった出来事かはともかく、
 話の要点は、学者の父を持ち、物知りでよく勉強もできる娘が恋に不器用…ってところです。
 完全にどこかで聞いた話ですよね〜。
 紫式部そのものですよ…

 藤式部丞は、このようにも語っていました。
 出世を支えようとするしっかり者の女性は、
 光源氏と頭の中将のような高貴な人(最初からいきなり出世しているような人)には必要が無い。
 そして自分のような普通の人にとってさえも、自分が気に入っていさえすれば、
 頼りなくて欠点ばかり目につくような女性で構わない。

 やはり月の君は、文章生だった時に(?)紫式部の父のもとに漢詩を学びに来ていて、
 その折に紫式部と知り合ったのでしょうか。
 そしてあくまで学問のついでに紫式部のもとに通っていた(と紫式部には見えていた)のでしょう。
 もちろんどちらの目的に重きが置かれていたのかは、月の君のみぞ知ることです。
 紫式部は、自分には学問の出来の良さしか取り柄がないとわかっていたので
 (思い込んでいたので、と書いた方が客観的に正確かもしれませんが、その辺のことは後ほど)、
 それでもって月の君に尽くそうとしたのでしょうか。
 実際、そうして月の君の役に立てたと自負はあるのでしょう。
 一方で自分の方が学問ができるなんて、
 いちいち月の君のプライドを傷つけることに他ならなかったとも痛いほどわかっていたのです。
 月の君に気づまりな思いをさせていたに違いないと。
 そうはいってもその、たったひとつの持ちネタを手掛かりにしなければ、
 紫式部にとっては月の君に近寄ることもままならなかったのです…
 でも当然、近寄りたいというのはあくまでも紫式部一方だけの願いでした。
 ほんとうに、大切に思っている人にわざわざ嫌な思いをさせて、
 なんてひどいことをしているのか…結局いつもここに行きつくのです。

 前回の葵の上についての内容からうかがえる話と、だいぶ重なるところがありますね。
 関係のない2つの内容から同じ答えを導けるとは!
 やはり、この方向でいいのでしょう…

 もっとも藤式部丞に語らせた話が完璧に事実ということはないでしょう。
 というのは、藤式部丞の話の通りなら、二人の仲はかなり深まっていた様子だからです…
 それを「わらはともだち」なんて言ったら、いくら何でも月の君に怒られますよ。

 …続きますね(汗)


2017年5月17日
 前回、うっかりしていて「東京が」梅雨入りと書かなかったので、
 沖縄・奄美地方の梅雨入りにかこつけて前回の続きを(笑)
 北海道地方が梅雨入りと書いておけば、永遠に逃れられましたね(笑)
 (北海道は気候帯が違うので?梅雨がないそうです)


 月の君が紫式部の気持ちに気付かなかったとは思いません。
 紫式部は後で「心に籠めがた」くなるほどの思いを、
 ずっと相手から見て、言葉にも態度にも全く出ないようにしていられたでしょうか。
 これはとても難しいと思います。
 それができるなら源氏物語を書くことはなく、一切を自分ひとりの心に籠めて終わりにしたはずです。
 そして、月の君はいくら何をほのめかしても、鈍感で気づいてくれなかった、だとか、
 はっきり態度や言葉に表しても、冗談としてしか受け取ってくれていない様子だった
 …ということもなかったんだと思います。
 源氏物語の男性陣にはそんな人いませんよね。

 女性陣には…?
 なんと、いるんです!!
 その人は紫式部からあまりよく書かれていない人で、しかも早々に亡くなってしまいます。
 なので、出さずに省略できた人物では…なんで出したんだろう?と私は思ったことがありました。
 が、紫式部にとっては執筆動機(月の君)に絡む重要な人物で、
 構想上絶対に外すことができなかったのです。
 その人が夕霧を生んだことも重要なことです。
 …もう誰かわかっちゃいましたね?
 葵の上です!
 ところで、夕霧なんて脇役中の脇役だろっ、ヤツこそ別に要らないわ!なんて言っちゃいけませんよ。
 彼は重要なのです…月の君問題の発生を未然に防ぐために。
 でも、まずは順番です(夕霧の話は今回はできなくてかなり後になりそうですが、まあ待ってください)。

 以前(月の君シリーズではなく)葵の上の人物像を考えたときに、
 源氏が本当にひどい奴だから葵の上がかわいそうなことになったと結論付けました。
 この結論は揺らがないので、気になればそっちを読んでください(笑)
 あれは葵の上の味方100%でお送りしましたが、今度は若干敵になります…

 月の君事件の経緯を追う上で見逃せないのは、周りの登場人物たちから見た葵の人物評です。
 いうまでもなく紫式部自身が書いているのですが、
 葵の欠点を書く言葉には妙にとげの鋭さが見えるのです。

 例えば…
 紅葉賀巻で源氏が若紫を二条院に迎えたことを、
 葵が人づてに聞いて不快に感じていたときの態度について、
 可愛らしく、普通の人のように恨み言を言えば(心うつくしく、例の人のやうに怨みのたまはば)いいのに、
 こちらが思ってもいないよう(な悪い方向)にばかり
 自分(=源氏)の振る舞いを解釈する(思はずにのみとりないたまふ)ので、
 それを不快に思って源氏の気持ちが離れてしまうと書かれています。
 また葵巻の車争いの後には、
 葵が思いやりに欠けて不愛想(ものに情けおくれ、すくすくしきところつきたまへる)だから、
 あのような騒ぎを起こさせてしまったと、葵だけが悪いように書かれています。

 一応、葵の弁護をいたしますと…
 恨み言を軽々しく言わないのは、本来は美点のはずです。
 ちなみに源氏と直接に顔を合わせている時も葵の様子は普段と変わらず、
 不快感を抱いていることを少しも気づかせないような態度で(しひて見知らぬやうにもてなして)いました。
 「立派な大人の女性」って感じですね。
 それに、「きっとその女性(若紫)を特別な女性としてお決めになったのだ」
 という葵の想像は後に現実のものとなるのです…!
 あと、車争いの時は、六条の御息所側のお供も態度があまりよくなかったようですよ!?

 なんで紫式部ごときにそんなにまで言われなくちゃならないんですか!
 (やっぱり急に葵の味方?)

 さらに他に葵がどういう人だったか、例えば紅葉賀巻にはこのようにあります。
 例のように端正に威儀を正した様子でいて(例のうるはしうよそほしき御さまにて)
 可愛らしさがないので、源氏は対面していて気づまりに感じたので(心うつくしき御けしきもなく、苦しければ)…。

 …ん?葵は固い感じの人なのですね?
 日本紀の局とあだ名される大変固い(ヘンな)人だから、
 片思いの恋さえしたことがないと1000年言われ続けてきた、某女史を彷彿とさせますね…
 えっ!?まさか、葵の上って紫式部自身のことなんですかーーっ!
 とんでもないことになりました(汗)
 自分叩きだったから誰に気兼ねすることもなく容赦がなかったのかもしれません!

 …こんな風に煽っておいてなんですが、どんな登場人物でも作者の一部が投影されるものでしょうね。
 誰かモデルがいても、それはあくまでも作者の思い出や経験を通して見た姿なのでしょう。
 なりたい自分、なりたかった自分、あの人にはこのようであってほしかったなどの
 思いを基に書く場合もあるかも知れません。
 紫式部も源氏物語の中でやっていたと思うんです。
 空蝉や明石の君は紫式部と同じくらいの身分だから、
 きっと紫式部自身がモデルで…というのはよく言われる話ですが、
 他の人物もおそらくそうです…
 そもそも小説家は、完全にひとかけらもなく作者自身を切り離して、作中人物を書けるものでしょうか?

 とにかく、葵の上の「欠点」は、紫式部が自分で自身の欠点と感じていた部分なのでしょう。
 つまり、可愛げがなく、
 物事を相手が思ってもみないような悪いように受け止めて、
 それを心密かに悩むようなところがあり(超絶マイナス思考の根暗者)、
 思いやりに欠けて不愛想…
 これが紫式部の自己分析の結果ということになります。
 たしかにモテる感じはしないですね(涙)
 しかも加えてカタブツなんです…(泣)

 でも、(時として固くも見える)きちんとした感じの振る舞いは、
 葵の上がそうであったように、本人の生まれながらの気質に加えて、
 良かれと思ってわざわざそのようにしていた部分があったはずですよ。
 相手に対してきちんとした誠実な態度をとろうという、意志に基づく振る舞いだと言えばそうなるでしょう。
 誠実な態度をとれることには、先ほども書いた「立派な大人の女性」のイメージがあります。
 女性にとっては自分がそうなりたいと思う理想像のひとつに違いありません。
 「立派な大人の女性」は素敵で美しいのですよ!
 紫式部も、日頃からそれらしく振舞うことで、
 いつの間にかそういう人柄が板について自分のものになったら…という期待を持っていたかもしれません
 (新しいことを始める時に「まずは形から入る!」みたいな感じで)。
 そうはいっても残念ながら、理想とした姿になれたかどうかは疑わしいです
 なぜか目指してはいなかった、面白みがなく、つんっっまんない!カタブツになってしまったらしいので…
 痛いところです(汗)

 でも所詮、紫式部が無事に理想の姿になれていたとしても、
 月の君とはうまくいかないというのが結論らしいです。
 葵の上と光源氏は全くうまくいきませんでしたね…
 葵の上のような、よく言えば頼りがいのある落ち着いてしっかりした人柄は、
 相手にとっては一緒にいると息が詰まるだけと思われるのがオチだということでしょうか。

 さらに、カタブツくらいなら何とか上のようにフォローできましたが、
 こちらは救済不能の欠点です(汗)
 超絶マイナス思考の根暗者…
 つまり物事を相手が思ってもみないような悪いように受け止めて、それを心密かに悩みがちな性格が、
 月の君とうまくいかなくなった大きな原因だったのかもしれません。

 先にも書いた紅葉賀巻の、源氏が若紫を二条院に迎えた時…
 葵の胸の内にあった思いは、
 「わざわざ一緒の家に住んで長い時間を共に過ごしているというのなら、
 若紫を一番大切な奥さんに決めたに違いない!
 それならもう、初めから愛してはいない私のところになんか来なければいいじゃない!」
 だったでしょう。
 ほぼ来ないとはいえ、たまには自分のところに来る源氏をの心中を、
 「夫婦だから形だけは顔を合わせなければならず、気分が乗った時だけ嫌々来ている」
 と想像していたのです。

 源氏はこの頃、若紫を幼い子供としか見ていなかったので、
 特別葵から気持ちが離れていたわけではありませんでした。
 葵に最初から大して気持ちがなかったというのはホントですが(汗)、
 葵が想像していたほどまで、葵に向けていた感情は悪いものではなかったのです。
 源氏が葵を、他の人より先に親しみ始めた人だから、大切に思っている
 (人よりさきに見たてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく思ひきこゆる)
 というのは本心だったのです。
 源氏にしてみれば「会いに来る=嫌いではない=(どちらかと言えば)好き」を
 どうして葵はわからないのだろう?と不思議で不満だったことでしょう。
 本当にどうしても嫌ならば、光源氏といえども、
 ほとんどどころか全く葵のところには来ないつもりだったのでしょうか。
 それは源氏が置かれた立場上、結局はできないはずですが…

 (ちなみに…葵は「他の人より先に親しみ始めた人だから、大切に思っている」と言われたら、
 「他の人より先に親しみ始めた人だから」を重視し、
 「それなら他の人が先だったら、私のことは大切に思わないのね」と考えるのです。
 でも源氏に言わせれば、前半の部分は重要ではなく「大切に思っている」だけが全てなのですね…
 前半を伏せた方が葵の心には響いたかもしれません)


 詳しい状況はわかりませんが、
 月の君ともそのようなことがあったのでしょうか。
 まだ紫式部が月の君と連絡を取ったり、
 御簾越しにだったら(元服や裳着の前ならば隔てなしに)会って直接話ができた頃、
 「別に私のことを好きということはないのに、本当は嫌かもしれないのに、
 月の君は優しいからこうして私と話をしてくれているんだろう…」
 と思うような折があったのかもしれません。
 わざわざ紫式部に会うためではなく、
 何か別件でたまたま紫式部がいる辺りに来る度ごとに話す…というのが
 パターンだったのかもしれませんね。
 この時「会ってはくれるんだから嫌われてはいないかも♪」と、
 素直に受け止めていさえすれば良かったということでしょうか。
 でもこの時紫式部は、
 大切に思っている人にわざわざ嫌な思いをさせているかもしれない、
 優しさに甘えて、私はなんてひどいことをしているのだろう…
 と考えてしまったのでしょう。
 このままではいけない、と自ら別れを決める原因のひとつになったのかもしれません。

 その辺のこと、月の君にきちんと確認すればよかったんじゃないか、ですって?
 …尋ねることに意味あると思います?「あなたは私のことが嫌いでしょう?」と。
 こういう考え方に陥っている時は、
 たとえ月の君にノーとはっきり否定されたとしても、
 その言葉を額面通りに受け取ることはできないでしょう。
 面と向かって「君のことなんて嫌いだ」というような場合って、
 はっきり言ってよっぽどの場合ですよ…
 「ちょっとイヤ」くらいだったら、波風立てないような答え方をするだろうと考えるものです。
 わらはともだちとは言ったものの、
 本当に年齢が幼い子供(今でいうなら幼稚園児くらい?)だったわけではないでしょうから…
 たとえ勇気を出して尋ねて、答えをもらっても、
 意味の無いことを尋ねたものだなあ、私…と後で自分を嘆かわしく思うだけです。

 「わらは」とは小さい子供のような浅はかさという意味だったのでしょうか。
 大人ぶって、しっかり者ぶって生きていたけれど、
 本当のところはまるで考えが足りない振る舞いばかりしてしまっていた頃、
 思うように関係を深められなかった「ともだち」なのかもしれません。


 う〜ん…もうちょっと詳しく、
 紫式部と月の君の間にあった出来事がどこかに書かれていないものでしょうか??
 なんと!あったんです!!
 …でもそれは、もう長いので次回で(笑)


2017年5月10日
 月の君シリーズ前回の続きです。

 …そうやってきちんとすっぱり諦めきれるなら、そもそも悩んだりはしないのですね。
 でも思いつめていると、やはりとても辛いので時々逃れたくなるのです。
 そういう気分が周期的に「めぐり」きていたりして…(汗)
 そして…
 「もうっ、さよならだ!へっへっへ!!
 知らんよあんな人!
 別に私はあの人がいなくても生きてるし、
 あの人も私がいなくたって別に死にゃあしないよ!!
 むしろ私との縁が切れて清々してらぁ、どうせ!そうだろうよ!!」…的な感じになって、
 「女の側から切り出せる別れと言えば出家だよ!」とばかりに、
 紫式部がヤケを起こすとヒロインたちがひとり、またひとりと出家していたのかもしれません(汗)
 構想上の都合ではなく(笑)
 だって、どう考えても出家が多すぎるじゃないですか!

 ところが、書いているそばから人に持っていかれて読まれてしまうので、
 ヤケだろうとも、一度書いてしまったら取り消せないのです…
 このことは紫式部日記にもこんな感じで記されています。
 局に隠しておいた物語の本を、留守中に藤原道長にあさられて(!)持っていかれてしまった!
 まだ推敲が終わっていない中途半端な仕上がりの物語と引き換えに、
 「つまんないねー」っていう評判を皆さまから頂いちゃうんだろうなあぁ…
   (局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、
   御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、
   みな内侍の督の殿にたてまつりたまひてけり。
   よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。)
 紫式部の脳裏には、読者の間で
 「あらあ、またお姫様がおひとりご出家なさるの?やぁねえ〜」
 「いつものことよねえ〜他に展開は無いのかしら、ねえ〜」
 「飽きちゃうわよねえ〜」
 という会話がなされる風景がよぎったことかもしれません(汗)

 じゃあ、はじめからそんなふうに書かなきゃいいじゃない、ですって?
 それはもっともな意見ですが、それができなかったのです…

 紫式部は蛍巻の物語論にこのように書いています。
 (いつものようにテキトウですが頑張って訳しましたよー)。

   神代より世にあることを、記しおきけるななり。
   『日本紀』などは、ただかたそばぞかし。
   これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ。

   〈訳〉(物語は)神代の昔から世の中にあることを、書き記したそうです。
      『日本書紀』(のような歴史書)などは、ただうわべをなぞっただけです。
      これらにこそ(世の中の)様々の本当のところが書かれているのでしょう。

 このように「物語にこそ深いことが書かれている」とする物語論は、
 物語そのものに対する紫式部の持論ですが、
 これに続く内容が見逃せません。
 そこには物語の「生まれ方」が一般論のように書かれていますが、
 同時に紫式部自身が源氏物語を執筆した動機もうかがい知れるからです。

   その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、
   善きも悪しきも、世に経る人のありさまの、
   見るにも飽かず、聞くにもあまることを、
   後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、
   心に籠めがたくて、言ひおき始めたるなり。

   〈訳〉(物語は)その人の身の上話ですよと、ありのままに語ることはないでしょうが、
      良いことも悪いことも、この世に生きる人の有様の、
      見ていて飽きず、聞くだけでは持て余すようなことを、
      後の世にも言い伝えさせたい様々を、
      自分ひとりの胸の内だけには収めがたくて、語り残すようになったものが始まりなのです。

 それまで数々の物語を読んだり聞いたりして、
 また、自身が物語を書き続けて得た実感がこの部分に込められているようです。
 紫式部は天才と言われがちですが、
 才能だけではあれほど長く源氏物語を書き続ける事は出来なかったのでしょう。
 「心に籠めがた」い経験や思いに突き動かされるままに、
 途中で手を止めることができなくて書き続けてきたというのが、本人の感覚だったのかもしれません。

 「心に籠めがた」い経験や思いとは、もちろん月の君とのことです。
 月の君との関わりの中で起きた、後悔や苦悩に満ちた自身の失敗談を告白しようとしていたのです。
 あまりの苦しみゆえに誰にも言わずに隠し通すことはできず、
 けれども改めて語るのは辛かったのでしょう。
 何度も挫折しそうになる気持ちを支えていたのは、
 自らが犯した失敗を、後の世の人も繰り返すことがあってはならない
 という使命感のような強い思いではないでしょうか。
 具体的には、どのようにして失恋に至ったかということと、
 失敗しないためにはどうしておくべきだったのかということです。
 これを必ずや後の世にまで伝わるであろう出来栄えに仕上げた物語に乗せて、
 語り残そうとしたのかもしれません。

 もっとも源氏物語の中で、
 月の君と関係がない日頃の色々な鬱積も発散されていたことでしょう。
 でも、そういう愚痴を言うことが執筆の目的ではありません。
 光源氏がなんだかんだしながらも大出世していく話だけでは、
 読者の反感を買ってしまいますからね…
 人の不幸は蜜の味なんていいますから、
 読者を惹き付けるスパイスとして、不幸が一定量は必要だったのです。
 不幸のネタ元は自分の経験です。
 紫式部は幼少のころから、母や姉を早くに亡くし、
 一女には恵まれたものの、夫とは結婚後わずか数年で死別するなど、
 幸せとはとても言い難い人生を歩んできています。
 個人的な憂さ晴らしができている上に人も喜ばせられるなら、晴らし甲斐(?)があるといいますか、
 単なる愚痴でしかない愚痴を延々人に聞かせるよりは、
 周囲に対してましなことをしている…ような気もしたことでしょう。

 そうはいってもやはり、
 源氏物語が紫式部の心の奥底に沈んだ澱(ばっちいゴミ)をくみ取る作業の過程で
 生まれたものだったのは否定しようがありません。

 そんなものを(遠くで)読まされる月の君はどう思っていたことでしょうか。
 はじめから気にも留めず、読んではいなかったかもしれませんし、
 まあ、読んでいてもイヤになったらその場でやめちゃえばいいんですけれど。
 自分が書いたものを、月の君がどこかで読んでしまうかもしれないことは、
 源氏物語が有名になるにつれて、紫式部にとって現実的な予測になっていったはずです。
 そうなることへの期待が紫式部に無かったとも思えませんが、
 実際に読まれていると(わかると)、それはそれで困ることだったのではないでしょうか。
 いろいろ暴露しているので…(汗)
 普通の読者たちにはわからないように書いたあれこれも、
 当事者のひとりである月の君には何を書いているのか、はっきりわかってしまうのです。
 あーあ、またオレとのことを書いてやがるよ、と…

 月の君が本当のところ何を考えたり感じたりしていたのか、紫式部にはわかりません。
 だってですねえ、ただでさえ月の半分(裏側)は見ることができませんし、
 残り半分(表側)も全てが見える満月はひと月にわずか1日だけです(笑)
 それだって、雲隠れ(悪天候)されたらオシマイですよ!
 他人の心の中はわからない…わざわざ書かなくても当たり前のことですね。
 もちろん紫式部が月の君の心中を色々と想像することはできますし、し続けていたことでしょう。
 そうした想像は正しい場合もあったでしょうが、全く的外れな答えを導いてもいたでしょう。

 私も、月の君ではなく紫式部の味方として書いていますから、
 月の君の心中を言い当てようとは試みませんし…できません(笑)
 でも、紫式部の味方ばかりでは不公平ですからね(?)、
 月の君のために役立ちそうなことも1つ書いておきたいと思います…

 たけくらべの作者・樋口一葉は、
 師事していた半井桃水(なからい・とうすい)に片思いをしていたようなのですが、
 桃水は後に一葉について、少なくとも女性としては良い印象を全く持っていなかったと語ったそうです。
 その言葉をまとめると、
 「まだ若いのに妙に年寄りじみて、身なりも雑然としていて、
 顔色は悪く汚らしさを感じさせる不美人で、とても自分の相手にはならない」
 とのことです。
 …今こんなことを言ったら、上から目線過ぎて
 ターゲット以外の女性たちまでをも半径1kmから追い払ってしまいそうですが…まあ時代ということで。
 いや、時代関係ないかもしれませんね。
 桃水は長身に加えてたいそうな美男だった(まるで光源氏ですね)といわれますので、
 (しかも記者にして小説家だったので、インテリでもあります!モテるしかないですね)
 どんな暴言を吐いても、いくらでも女子が群がってくるんですよ、きっと。
 女うざいわ〜って本気で思うような、不愉快な事態に巻き込まれまくるくらい、
 めちゃくちゃモテまくっていたことでしょう
 (モテるってそういうことでもありますよね、たぶん)。
 本気で追い払いたかったのかもしれません(汗)
 (5千円札を見る限りは…一葉さんってそこまで不美人ではないと思いますけど?
 それに桃水さんだって写真を見ると、随分と面長?な感じで、そこまで美男という感じは…)

 月の君も万が一、何か紫式部がらみで煩わしく面倒なことを周りに尋ねられたら、
 同じように言っておけば間違いありませんよ!
 紫式部の欠点をもっと鋭く突くような言葉にセリフを適宜置き換えるのもいいでしょう…
 こんなこと他人から言われなくとも、1000年前にとっくに言ってましたよね!?
 おととい来やがれ!ですよね!
 100年くらい前の人の言葉を、1000年も前のいたかどうかもわからない人に勧める私も謎すぎますが(汗)
 なんかヘンな話を今頃になってほじくり出してしまった罪滅ぼしのつもりです…
 月の君には本当に申し訳ないです。
 もし、まだ言っていなかったら今からでも言いましょうね!!繰り返し言うのも効果的です。

 紫式部と繋がりがあると見られるせいで、月の君の出世に障りでもしたら事なのです。
 日頃の仕事に障るのもあってはなりません。
 紫式部はそんなことを望みませんよ…
 だから3つの著作を注意深く読まないとわからないように、激しくぼかして書いたんです!

 一番は、紫式部がいまさら何書こうと無関心ですよ…という状態でいることなんですけどね。
 好きの反対は嫌いではなく、無関心だとよく言われます。
 月の君にとっては、それがなによりも精神衛生上いいですからね。
 (関心さえ持たれていない…紫式部にとっては寂しいことでしょうけれど…
 もちろん、無関心よりは嫌われている方がまし…なはずはありません)


 月の君の話はちょっと書こうとすると、
 すぐにシャレにならないくらい話が長くなってしまいます(汗)
 なるべく手短に終わらせたいのに。
 これからようやく本題に入れそうです。もちろん続きます。

 とはいえ、今後続く内容は暗〜いドロドロ不可避です…
 風薫る、緑滴る美しき5月にそんな話を書くなんて、本当にどうかしていると分かっています(汗)
 晩秋から年末にかけて鬱々と、悶々としながらやるのがぴったりなのですが…
 こんな話題をそんなにまで持ち越したくはありません。
 せめてジメジメの梅雨入り宣言まで待った方がいいでしょうか…?


2017年5月2日
 先日サントリーのキャンペーンに応募したら、当選しました!
 新作の透明なレモンティー(PREMIUM MORNING TEA レモン)の無料クーポンです。
 早速引き換えて飲んでみましたが、おいしいです♪
 見た目普通の水なのに、ちゃんとレモンティーの味がしました〜
 後で3本買っちゃいましたよ♪

 このキャンペーンは応募のときにアンケートに答えて…というものでした。
 ところが、そのアンケートの中でやたらと
 「い〇はす」飲んでますか?「いろ〇す」飲んでますよね?
 飲んでるんでしょ!「いろは〇」!!とばかりに
 繰り返し「〇ろはす」について尋ねてきたので、ここでお答えしましょう!
 (自由記述欄無かったんです(笑))
 そんなにもライバル意識を燃やしているんですか??
 「い〇はす」はですね…
 確かに飲んだことありますよ。出始めの頃、味なしの普通のやつを。
 あの、当時TVCMでやってた、
 飲み終わりのペットボトルをクシュッとねじるのをやってみたくて(笑)
 でも、1度やれば満足ですね(笑)

 味わいは東京水に似た感じでしたね、蛇口版の(笑)
 「えっ!?」なんて言っちゃあいけませんよ!
 今や東京の水道水はペットボトルに詰めて売れるレベルなのです。
 ミネラルウォーターとの飲み比べイベントをすれば、
 半数弱が東京水の方がおいしいと答えるそうですよ。
 私も普段の水は東京水で十分です。東京水万歳!

 そんな私もおいしい水を選んで飲む時があります…
 国内外のミネラルウォーターをそこそこ試しました。
 そうして選んだおいしいミネラルウォーターの双璧のひとつが、
 南アルプスの天然水なんですよ!
 透明感の奥にかすかに甘みがあって素晴らしいです。
 (奥大山と阿蘇は飲んだことがないのでノーコメントで…スミマセン)

 さて、双璧と書きました(笑)
 ってことはもうひとつあるのか!どこだ!!
 それはFrom AQUA(フロムアクア)です!
 JR東日本の駅ナカで売られている水です。
 こちらは透明感に加えてキレがあっていいです!
 南アルプスが姫なら、こちらは若武者って感じです。

 From AQUAは「大清水」時代からのファンです。
 大清水が駅から消えたのに気付いた時の悲しみと言ったら!
 代わりにフロムアクアなる水が自販機に並んでいたんですよ…
 調べまくりましたよ…もうっ!
 横文字にして一生懸命に垢抜けようとしなくて(?)、いいんですよ!
 筆書きで「大清水」の方が今時かえってクールかもしれません。

 南アルプスとアクアを東西の双璧と書こうとしたのですが、
 サントリー天然水南アルプス白州工場と
 From AQUAの水源がある大清水トンネル付近を基準に考えると、
 経度で1度も離れていないようなのでやめました(笑)
 むしろ南北?
 でも、緯度も1度くらいしか離れていないようなんですよ。


2017年4月15日 川本喜八郎人形ギャラリーに行って来た!(その9) 更新
 今日渋谷に行ったので、ヒカリエのギャラリーにも寄ってきました!
 プレートの位置は「だいたい正解」でした(汗)
 (元の図は手前過ぎでしたね…二位ノ尼と安徳天皇の立つ台の端に載ってました!)


2017年4月11日
 ここしばらくの懸案だった姉妹サイト関係の世話…ようやく山をひとつ越えました〜
 これから先は店頭に並ぶまでしばらくこの件で何もできることがありません…
 むしろ、何事もないことを祈ります(汗)
 (並んだ頃には様子をこっそり見に行く予定)

 3月終わりから4月初めの月の君シリーズは、
 このゴタゴタを見越して3月の初めまでに大方の内容を練っておいたものを、
 庭園美術館の感想を書き終えてすぐにようやく書き始めたものでした。
 …とはいえこのときすでに3月下旬!
 姉妹サイト関係が色々で、延び延びでした(笑)
 しかもそうしてなかなか書けないでいたら、日常生活に多々支障が出たので(汗)
 (↑下書きさえできなくて…内容を覚えておくのに
 頭の記憶容量をめちゃくちゃ食っていましたので、ボロボロ細かい物忘れが…)、
 これ以上延ばせない…サッサと書いて頭の中から出してしまわないと、と慌てながら書きました
 (姉妹サイト関連ではミスを出していないのでご安心を)。
 そして4月1日に出そうと思ったのですが、そういえばエイプリルフールだ!と回避し、
 31日と2日の公開になりました(笑)

 そういえば今年はエイプリルフールサイト巡りもほとんどできませんでした…
 (当サイトも今年はやってませんでした)
 グーグルのプチプチ入力と、
 心のきれいな人にしか見えないドミノの新作ピザと、
 シャープとタニタのツイッターの中の人が入れ替わっちゃったー!、
 デアゴスティーニの週刊ライザップのベンチプレスをつくる、あたりしか見られませんでした…
 (結構見てるじゃん…)
 今頃まとめサイトを見ましたら、モスバーガーの新作バーガー「菜のみ」!
 いいですねえ〜(←レタス好き)
 「バンズにあたる上下の葉で、パティとなるレタスをふんわり優しく包みました。」
 分解図も上から下まで全部レタス!10枚!!
 (あのページのノリは伝説のフリーペーパー「モスモス」をなんとなく彷彿とさせる雰囲気でした)

 突然月の君シリーズを再開した感じのこの頃ですが、
 早く書き終えて年初から書いている調べ物に戻りたいです(笑)
 モル濃度?を計算しなければならず、気が重いのですが(汗)
 すればいいんですけど、イヤですねえ…
 (モルは必要だから計算するんであって、好きという人もいないとは思います)
 ナニを調べているのか…大ヒントは「D坂」です。
 団子坂ではないですよ〜


2017年4月3日
 昨日、東京マガジン見ていたら、
 小金井市の方で国分寺崖線が2か所もぶった切られようとしているそうで…
 道路計画とか…今何世紀ですかって感じですが(汗)
 (計画に反対なのは言うまでもありません)
 地域の貴重な自然が…と地元に倣って重ねて書いても、
 1種類の意見としてそれ以降はノーカウントらしいので(なんでそうなの?)、
 ちょっと違うことを書いてみましょう。

 国分寺崖線は多摩川の流れによってできた河岸段丘です。
 武蔵村山市から大田区まで続いています。
 当サイトでもおなじみの?五島美術館や静嘉堂文庫美術館の庭園も、
 この国分寺崖線の雑木林を生かして整備されたものでした。
 崖下から多くの湧水があることでも知られています。
 (地元での呼び方「ハケ」は「水がはける(出る)」の「はけ」かもしれません…)
 そうした湧水のいくつかは「東京の名湧水57選」に指定されていますが、
 それらのいくつかが今回の道路計画で、おそらくは崖線を切り通しすることで、
 水脈が切られて涸れてしまうかもしれないということなんです。
 東京都が自ら指定した「東京の名湧水57選」の何か所かが消えるということですよ。
 いいんですか?
 「湧水は豊かな自然を育む水路や池、河川などの水源であり、
 都民にうるおいとやすらぎを提供するとともに、災害時の水供給源にもなる貴重な存在です。
 東京都では、湧水に対して関心を持っていただくとともに、湧水の保護と回復を図るため、
 平成15年1月に「東京の名湧水57選」を選定・公表しました。(東京都環境局サイトより)」
 ということだったはずなのに。話が違うじゃないですかぁ!
 中でもすぐそばの31番「はけの森美術館」は危ないですね。
 そしてたとえ離れたところでも影響がどこまで出るかはわかりません。
 国分寺崖線が今のような形であることで保たれている自然は、小金井市だけのものではないのです。
 広く都民の財産なのです。

 あんまりこんな話ばかりしていると、ヘンなうるさ型みたいでイヤなんですが…
 なくした後で後悔しても取り戻せないものですので…


 おまけにもう1つ…今回の道路計画地には、
 ジブリ映画でスタッフが参考にした場所が含まれているそうです。
 番組では具体的なタイトルが出てきませんでしたが、
 あの地域の「はけの小路」は「借りぐらしのアリエッティ」の舞台のモデルらしいです。
 でもその割に「はけの小路」の名前も出て来ず、
 国分寺崖線の地元での呼び方「ハケ」が強調されていましたね(笑)
 アリエッティの他にもあるということでしょうか…?
 某有名映画賞に輝いた、あの映画かもしれません。
 ハケ。番組ではひらがな表記でしたが、ここはあえてカタカナで書いた方がヒントになりそうです。
 文字を目を細めながらチラ見してください。
 うまくいかなければちょっと雑な字で千回くらい(笑)早書きしてください。
 浮かび上がってくる名前の登場人物(重要な!)について着想を得たかもしれない場所かもしれないんです。
 人がわちゃわちゃ集まると近隣に迷惑になる場所が含まれるので、伏せているんだと思います。
 目黒雅叙園とかは公式に認めても。
 「わからんか。愛だ、愛」


2017年4月2日 トップページ 更新
 もう1年間スーパームーンでいい…とか去年言ってましたが、
 やっぱり月がドーンはインパクトがありすぎですので、
 今更テキトウな写真を見繕ってきました(笑)

 ムラサキシキブ(植物)の写真です
 (姉妹サイトブログに使った写真をトリミングして再利用)。
 この草の名前は言うまでもなく紫式部にちなんでいます。
 はっきり言って、今までのトップページ写真で一番まともだと言えます!
 今度こそずっとコレでも大丈夫ですね♪
 (今年の秋以降にもっといいムラサキシキブの写真が撮れたら、
 差し替えるかもしれません)


 さて、前回の続きです。

 「とほき」が地理的な意味ではないとすれば、精神的な、または立場的な意味かもしれません。
 そうした意味で「とほき所」へ行ってしまうとは、どういうことでしょうか。
 源氏物語の作中で描かれるそのような別れと言えば、出家か死別です。
 確かにどちらも遠いところに行ってしまうことですし、
 歌を詠む心境になるかもしれません。

 一例として主人公の光源氏が最愛の人・藤壺の中宮と、
 この2つの別れをする場面を見ていきたいと思います。
 どちらも心の琴線に触れるような素晴らしい歌が登場しそうですね。
 なのに!意外なことに、この2つの場面は全く違う描かれ方をしているのです。

 というのも、藤壺の出家の場面で源氏は言葉を失ってしまうのです。
 目の前が真っ暗になって、
 ある程度人が帰るまでその場から身動きもできない程うろたえます。
 しかも、形ばかりの挨拶をやっとの思いで藤壺と交わすと、
 続く源氏の帰宅した後の様子から、藤壺にお供して出家した王命婦の君にお見舞いした事、
 後日に藤壺のところに参上するまでの場面が、ごく短くまとめられて終わっています。
 ナレーター(源氏物語の語り手の女房)によると、
 「詳しく語ると大げさすぎるからあえて物語に伝えないように、省略されたみたいなのよ。
 こういう折にこそ、素晴らしい歌のひとつも詠まれただろうに、もったいないわねえ」
 とのことです。
 …紫式部、どういうことですか!?
 あなたがわざと書かなかったからないんですよね!

 崩御の時の方が歌もあってかえって普通です
 (歌:入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる)。
 ナレーターによると「誰にも聞かれなかった歌なので甲斐がない」とのことですが、
 こちらはきちんと書いてあるじゃあ、ありませんか!

 もちろん紫式部にも、親しい人との死別の経験がなかったわけではありません。
 けれども、おそらく紫式部には大切に思う人の出家に関することで、
 何か実体験に基づくような強烈な思い出があったのです。
 そのために、紫式部には源氏の藤壺への思いを、
 たったの31字で書ききることができなかったのでしょう。
 書こうにも思いがとめどなく溢れ出てきて、まとまらなくなり、
 思い切って省略してしまったのです。

 このように見ていくと、月の君がとほき所へ行くとは、
 出家して俗世から去るということだったのでしょうか?
 ただでさえ源氏物語は、光源氏の愛した女性が続々出家する話なのです…

 想像するに、2人の間にはこんなことがあったのでしょうか。
 ――藤壺の出家が冬、十二月の十日を過ぎた頃だったように、
 月の君が出家したのもその頃のことでした。
 紫式部は月の君が出家することを「秋の果つる日きたるあかつき」という冬に差し掛かる頃に、
 本人の口からではなく、風のうわさに耳にしたのかもしれません。
 あるいは出家の時期を前々から知っていて、
 その時期が来たのを一人静かに受け止めていたのかもしれません。
 だから、「行くなりけり(行ってしまうらしい)」だったのです。
 とめがたき秋の別れや悲しかるらむ、
 とは詠んだものの、悲しくとも出家を止めてはならないと自らに言い聞かせたことでしょう。
 出家は立派なことなのでした。
 もしかすると知り合った時には、
 すでに月の君が将来は僧侶になる身だと決まっていたのかもしれません。
 だから早くから知りあっていても、わらはともだちで留まらなければならなかったのです…

 …って「たけくらべ」じゃないんだから!(きちんと読んだことないけど(笑))
 そうです。残念ながら源氏物語を読む限り、
 月の君が出家したとも決められそうにありません。

 それは、源氏と出家後の藤壺が中途半端に良い関係だからです。
 間に人を挟まずに直接話せる機会が増えたり、
 藤壺の産んだ冷泉帝を守るために力を合わせたりするので、
 かえって2人の精神的な距離は縮まっているようにも見えます。
 恋人として結ばれることはなくとも、ある意味では大団円です。
 悩みがないはずはありませんが、悲痛さは月の君2首に及ぶほどではありません。
 月の君とはろくに話をすることさえできないのですから…

 紫式部は源氏物語の中で月の君との関係を進展させる可能性を、
 ああでもない、こうでもないと色々と試し続けています。
 月の君が出家して…ということはかなり真剣に考えはしたけれど、
 これは2人の間で実際に起きたことではないと、
 源氏と藤壺の関係がそこそこうまくいってしまった事から想像できます(汗)
 でもこの想像は、結構紫式部の中で盛り上がって、
 藤壺の出家の場面を生む源になったのではないでしょうか。
 かなり苦しみながら考え続けた思い入れの余りか、
 あのように歌がなく、内容を早送りで書くような謎の出来栄えになってしまいましたが…
 源氏物語の作中で出家と死別の描写に大きな差が出たのは
 実際に起きたことは悲しくても、現実としてありのままに受け止めざるを得なかったことから、
 書くときには感情を整理して抑えることができたからかもしれません。
 一方で恋しい人が出家する状況には実際に接したことがないために、
 想像だけでどこまでもつらい方向に広げていけたのでしょう。
 恋しい相手が出家して…という場合を真剣に想像していたのは、
 もちろん月の君を諦めるためです。
 僧侶になった人に恋をしてはならないのはいうまでもありません。
 出家後の藤壺のもとに源氏が参上する場面にある通り、
 たとえ思いを失くせなくても、「あるまじきこと」なのです。

 もっとも、月の君が出家したと考えると、
 例の「めぐりあひて」は月の君が僧侶として勤めに励む姿を、
 紫式部がたった1度だけ偶然に見かけたときの感慨深い思いを詠んだ歌になります。

 状況はこのようになるでしょうか。
 「年ごろへて」というくらいですから、少なくとも2人とも大人にはなっているでしょう。
 時代背景からして、月の君と紫式部が直接顔を見合わせるようなことはないはずです。
 「行きあひたる」ということは個人的な外出中か、彰子やほかの女房達と一緒の外出中でしょうか。
 それなら紫式部は牛車に乗っているはずなので、
 月の君の姿を直接目にするのは紫式部だけになります。
 月の君としては、牛車の近くに見覚えのある紫式部の従者がいるから、
 または彰子さまのお出かけだと聞いたから、
 あの牛車に乗っているのは紫式部かもしれない…と想像できるだけでしょう。
 清少納言が枕草子で書いたような、説法を聞きに出かけた折だったのかもしれません。
 あれから何年も経ち、月の君は立派に僧侶をやっていました
 (僧侶として出世したという意味には限りません。
 また説法の講師を務めていたとも限りません…手伝いや補佐のような役割でも十分です)。
 ああ、立派におなりになったな…と、
 もはや恋しい人という目で見てはならないと分かっていながら、
 それでも視線を逸らすことができなかったのです。
 月の君は厳しい修業を積んでいるので、
 今更私を見かけたくらいで心を乱すこともないだろうけど、
 私は思い乱れる気持ちをとても抑えられないので、声をかけることさえできない…
 (彰子や他の女房たちと同乗なら、当然人目も気になります。
 「あっ」とさえ言えません…言おうものなら周りが「ヒューヒュー」と茶化してきますよ(汗)
 紫式部は固い人だからと、好きなタイプがお坊さんでも皆は変に納得してしまうでしょう。
 違うのに(笑))
 後で思えば束の間の出来事だったに違いないのに、
 その時間だけがゆっくりと引き伸ばされたように感じられ、
 月の君の一挙手一投足を目に焼き付けるように思わず見つめてしまいました。
 そのさなか、月の君と確かに目があった(ような気がした)のです。
 本当に一瞬のことでした。
 月の君は視線を戻すと、穏やかで落ち着いた表情を少しも変えることなく、
 その場の勤めを終えて何事もなかったかのように遠くの方へ去っていきました。

 …なかなか、もののあわれを感じるような(?)状況で、
 非常に美味しいですね!
 でも、本当に月の君が僧侶になっていたら、
 紫式部は源氏物語をあのようには書けなかっただろうと思うのです。
 源氏物語を読んだ人に、紫式部が僧侶相手に片思いをしていると、
 万一にも勘付かれることがあったら大変だからです
 (光源氏が尼君相手に恋心が抑えきれずに…というのは、
 さすがに源氏物語にも書かれていません)。
 まあ、自分が悪し様に言われるのはともかく(自業自得)として、
 そんな評判が立ったら月の君の迷惑になってしてしまうからです。
 相手の天分損ねまくりですよ!
 固い決意はどうしたんですか、紫式部!ってなっちゃいます。
 いつの時代にも(私みたいに)妙な勘繰りをする輩なんてたくさんいますから(汗)

 「とほき所」に具体的な意味を当てはめようとするのが、
 そもそもの間違いなのかもしれません。
 「とほき所」は「とほき所」、
 よくわからないけれど、とにかくどこか「遠い所」なのです。
 会うことはもちろん連絡を取る事もできない以上、
 紫式部は月の君が出家でもしちゃって、
 あるいは海の向こうよりもなお遠い場所(月?)とか、
 どこか遠くに行っちゃうんだから諦めようと
 思い込もうとしたのかもしれません。
 そして例えば、この秋のうちに月の君から連絡がなかったら
 今年こそ諦めようと期限を決めていて、
 そうしてなすすべなく迎えた「秋の果つる日きたるあかつき」に詠んだのが、
 紫式部集の2首目だったのかもしれません。

 (続く?)


2017年3月31日
 自分がそれまでに作ってきた短歌を、自分で歌集にまとめるとしたら、
 一体どのような歌を記念すべき1首目に選ぶでしょうか。
 とっておきの歌をいきなり出すか、あとで出すために取っておくかということです。
 これは好きな食べ物を最初に食べるか、後で食べるか…に似ています。
 でも、自分以外の人に読んでもらうことを少しでも考えるのなら、
 食べ物の場合とは違うことを考える必要があります(笑)
 それは、1首目で「あぁ、もう…どうでもいいや!」と思われてしまったら、
 その続きは読んでもらえなくなるからです。
 “つかみ”はとても大切ですね。
 本当に自信のあるいい歌はあとの方で出したい、または出すにしても、
 やはり1首目にはそれなりの出来栄えか、それなりに思い入れのある歌を置かざるを得ないでしょう
 (いいものは取っておく派でも(笑))。

 紫式部集は百人一首にも選ばれている
 「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし よはの月かな(よはの月かげ)」
 を1首目として始まります。
 紫式部がこの1首を自身の最高傑作と感じていたかまではわかりません。
 ですが、まさに自他ともに認める、押しも押されもせぬ紫式部の代表歌といえるでしょう。

 今回は、この1首を紫式部にとって特別な思い出を詠んだ歌とみて、
 彼女の創作物である源氏物語との関係を考えていきます
 (つまり、月の君シリーズの続きですヨ。
 お待ちかねの方はいらっしゃるでしょうか?いないかな…!?
 今回は今までのをぜひ先にお読みください。
 →月の君その1 その2 その3 その4)。


 紫式部集には彼女の歌と、本人による状況説明(詞書)がこのように書かれています。
 はじめの2首と詞書を続けてご紹介してみます。

 (☆今回からは気合を入れて?がっつり行くので、
 紫式部集や源氏物語の原文をどこから引用しているかも書いておきます。
 こちらのサイトさまです…当サイトは胡散臭いサイトなので、ご迷惑にならないようにそっとご紹介します(汗)
 改行やスペースは私の都合で見やすさ重視に入れています。
 現代語訳は相変わらず雰囲気重視のテキトウ訳です。
 逐語訳は精確ですが、私たち一般人には難しかったりしますよね(汗)
 ちなみに…今までのは引用元をあまり決めずに、
 気に入った表記をいろいろなところからいただいていました)

  はやうよりわらは友だちなりし人に、年ごろへて行きあひたるが、ほのかにて、
  十月十日のほど、月にきほひて帰りにければ、

    めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜はの月かげ

  その人、とほき所へ行くなりけり。秋の果つる日きたるあかつき、虫の声あはれなり。

    鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋の別れや 悲しかるらむ

   (早くから幼なじみであった人に、長年も経ってから出会ったが、わずかなことで、
   十月十日の頃、月(十日はまだ半月を過ぎたくらいなので、まだ夜の遅くならないうちに沈む)
   と競うように帰ってしまったので、

     月が何度も満ち欠けするほどの長い月日を経てようやくまたお会いしたのに、
     本当にあなただったのか面影をはっきり確かめられないうちに、
     お姿を雲に隠してしまいましたね

   その人は遠いところに行ってしまうらしい。
   秋の終わる日が来た早朝、虫の声がしみじみと響いていた。

     すっかり声が弱々しくなった真垣の虫も
     止めることのできない秋の別れに心を痛めているのでしょうか)


 …ところでなぜ、2首目まで?
 実は1首目と2首目は、紫式部が同じ相手(月の君)に対しての思い出を詠んだ歌とされることが多いのです。
 もちろん紫式部が本当はどういうつもりで、この2首を続けて書いたのかはわかりません。
 (もしかしたら2首の間には何の関係もないかもしれません!?)
 以前の月の君シリーズでは扱いを面倒に思って
 2首目の話は完全スルーを決め込んでいましたが(汗)
 六条の御息所の話をしてしまっていた以上、やはりスルーは不可だったと考えなおしました…

 特に「賢木」で伊勢に行くことを決意した六条の御息所を、
 光源氏が訪ねた翌朝の別れの場面に登場する歌が、2首目と詞書を彷彿とさせます。

   暁の別れはいつも露けきを こは世に知らぬ秋の空かな
     (暁の別れはどのような時でも涙に濡れるものですが、
     この秋の空に感じさせられる悲しみは世に聞いたことがないほどです)

   おほかたの秋の別れも悲しきに 鳴く音な添へそ野辺の松虫
     (たいてい秋の別れは悲しいものなのに、
     悲しみが増す鳴き声を添えてくれるな、野辺の松虫よ)

 あの車争いが起きた葵祭と、この秋の別れの一件がどちらも六条の御息所に関わることから、
 私は紫式部が紫式部集の最初の2首に何らかの関連性を持たせたかったか、
 関連性があるとみられても構わないと考えていたのかな、と思います
 (葵祭と「めぐりあひて…」の関係はその2で書きました)。

 紫式部の誘いに乗ってみましょう。
 月の君は「とほき所へ行くなりけり(遠い所へ行ってしまうらしい)」といいます。
 「とほき所」がどこなのかは全く書かれていません。

 よく言われるのは「受領が下っていく遠い任国」ですが、
 これはわらはともだちが「女性で、紫式部の一族と同じ身分的地位(受領に任ぜられる程度)で、
 受領になった父や夫に付き添って」という、言ってしまえば想像によるもの(!)なのです。
 同じ想像なら、月の君が男性でもいいじゃないか!というのは、当サイトのいつもの通りです(笑)
 それに…「父に付き添って遠い任国へ下った女性の友達」とだったら、
 紫式部は文をやり取りしていたのです。
 「筑紫へ行く人のむすめ」ですね!
 この人が詠んだ歌には「西の海」という言葉が出ていることから、
 この後たびたび出てくる「筑紫」や「西の海」は同じ人とのやり取りでしょうか。
 そうだとすると結構、数があります。
 月の君が相手の時のように、
 返歌もなく紫式部の思いつめたように詠んだ歌が2首続いているわけではありません。
 連絡を取り合えるなら、それほどまでに思いつめる必要はないということでしょう。

 せっかく2首セットで扱っていますので、この機会にちょっとこの話題にも触れておきます。
 2首目の詞書にある「秋の果つる日」の前に、
 1首目の詞書のような「十月十日のほど」のように時期的に後に来そうなものがあってはおかしいから、
 「十月」を「七月」の書き間違いだ!と言われることがあったようです。
 でもそれは、2首目が年単位で後のことだったらおかしくはありませんし、
 何より紫式部集の歌が、本当に詠まれた通りの順番に載っているかはわからない…ではありませんか?
 今日、最初の方で書いた“つかみ”の話に戻りますが、
 2首目を1首目にするとインパクトが足りないんですよ。
 やっぱり、1首目の方がイメージに広がりがあって、ドラマチックでしょう!
 2首目は何と言いますか…読んだまんま、それ以上でも以下でもなく…という感じがします。

 それに、2首目を先にしてしまうと「その人」の説明(詞書)が厄介になります…
 単なる(?)「わらはともだち」との別れに
 「秋の果つる日きたるあかつき、虫の声あはれなり」
 とやって、
 「鳴きよわるまがきの虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ」
 だと大げさすぎて(一睡もできずに泣き明かしたのでしょうか?)、
 その人との間にヤバい事情があるのが、
 その場で誰の目にも明らかになってしまいそうです。
 よく考えれば順番を変えようと何をしようと、やっぱりおかしいんですけどね。
 本当にわらはともだち(幼馴染)ならば、
 「はやうより(早くより)」とわざわざ断るまでもありません。

 話を戻します。
 遠い西の海の向こうの筑紫は、紫式部にとって、
 連絡さえ取り合えないような「とほき所」ではないのです。

 九州よりさらに「とほき所」とはどこなのでしょうか。
 外国…宋とかでしょうか?
 紫式部の時代が西暦1000年頃ではなく、さらに100年くらい前だったら、
 そうか!遣唐使!!となるところですが、
 遣唐使は894年に廃止されました(汗)
 人の行き来が全くなかったとは言えないものの、
 紫式部の知り合い(普通に想像すればそこそこの身分)が、
 中国に渡る機会は(危ないので)もうあまりなかったかもしれません。


 …すっかり長くなってしまいましたので、いったんここで切ります。
 続きます。


2017年3月20日
 東京都庭園美術館に行ってきました♪
 「並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性」です。
 始まったのだいぶ前からでしたが(汗)
 やっぱり行きた〜い!と、今更ながらに(笑)
 あんな立派な藤の花瓶「藤草花文花瓶」の写真見たら行きたくなっちゃいますよ!
 捨てようとしていた古いケーブルテレビの番組情報誌に広告が載っていました。
 会期は4月9日までだったんだ、今なら行ける!と急に思い立ちました。

 前にこんなの作ったんですけど、
 こんなの
 これをもっと立派な長さに作ったもので、ナニかしようとしているんです。
 仕上げるエネルギーをお分けいただきに行くことにしました(笑)

 そしてちょうちょもひ〜らひら♪きれいですね!
 こちらは新聞で見たような気がします…
 たぶん「菊紋付蝶松唐草模様花瓶」の蝶だったと思いますが、
 この時は時期的に行けないと思い込んでいたので(汗)
 蝶と言えば3年くらい前に、ビーズステッチで蝶のモチーフを編むキット
 (ミユキのパピヨンモチーフキット)に、
 さんざん指に針を刺しながら取り組んだことがあります…
 この話は初めてでしたね(笑)
 針刺すこと自体は珍しくも何ともないんですが(えっ)、
 さすがに血が出るほど(しかも計3回も)刺したのは、あのキットくらいなものです(痛)
 難易度4なのに。難易度が5になったら一体どうなってしまうんでしょう(怖)
 でもきれいだから!というだけで頑張れてしまいましたから、それはいいのです!
 全6種+オオルリアゲハ(きれいなのでもう1個)の計7セット
 +全部の材料の余りビーズをかき集めてさらにオオルリアゲハもう1匹、
 結局8匹も作ってしまいました(笑)
 ブローチかチャームが作れるキットでしたが、
 決めかねて、糸端を休めたまま今も寝かせてあります…
ちょうちょ
 展覧会は蝶モチーフを身に着けていれば100円引きらしかったですが、
 今回も仕上げるのは見送ってしまいました(ちょっと今時間も取れなかったです)

 それにもともと七宝は好きです。
 小学生の頃、近くの児童館で七宝焼きの制作体験に参加したのがきっかけでした。

 前置きはこれくらいにして…
 東京都庭園美術館は建物自体が重要文化財で美術品ですね!
 (なのでスタッフの方々もほかの普通の美術館に比べてピリピリしていました)
 刺すような視線が飛び交う中での鑑賞でしたが、建物も含めてじっくり見てきました!
 特にガラス好きにはたまらないです。
 建物に入っていきなりラリックのきれいなお姉さん(きっと女神)が居並び、
 照明はどれも凝っています。
 若宮居間のものと、姫宮寝室前の廊下のステンドグラスの照明が素敵だと思いました♪

 肝心の七宝はもちろん素晴らしいものでした!
 どれも許される限りずーっと見ていたい感じです。
 藤の花瓶はイメージしていたより小ぢんまりしてましたが(笑)、期待通りの美しさでした。
 写真ではとても大きく見えません?
 あんなに繊細な模様を描いた花瓶なら、大きいに違いないという先入観ですね(汗)
 逆にあれほどの小ささに、緻密で正確な模様を作っていく作業の様子は想像さえ難しいほどです。
 それぞれ時代ごとのあらんかぎりの技術と、
 持てる美意識の全てを注ぎ込んで作っている気迫が感じられました。
 隅々まで手を抜いたような隙がありません。
 初期の頃の銀線を皿の裏にまでぎっしり並べたものがわかりやすいです(たぶん「桜蝶図平皿」)。
 七宝の面の空きを埋めるために描かれていた花唐草と花菱が、どれを見てもかわいかったです。
 後年の余白を大きくとったものでは、
 線の部分の太さを筆書きの線のように変えていることが驚きです(「波濤文香炉」)。
 厚みをわざわざ変えて作った銀線を器の面に立てて作っているんだと思うと…
 でも今だとあのような絵は、プリントで簡単にそこそこの見た目で作れちゃうだろうと思うと、
 説明なしで凄さが伝わらないものではあります。うーん…
 「蝶に竹花図四方花瓶」は四角い花瓶の角の辺りを正面にして
 奥行きある画面にするデザインが印象的でした。
 当時は屏風が今よりずっと身近だったでしょうから、
 折り返して奥行きを出す画面って普通で、その延長だったのかもしれませんが、
 今見ると新しいです。
 そしてトリさんたちがかわいかったです(個人的には大変重要なポイント)
 中でも「花鳥図飾壺」の手前のトリさんの小首をかしげるポーズがいいです!

 技術を一朝一夕に高めることはできませんが、
 それでも何かしないとと改めて思いました(これは姉妹サイト関連で)。
 もちろん手を抜いて作ったことはありませんが…
 とりあえずはデリカビーズ(いつも使っているものより小さいビーズ)で
 細かい和柄を目いっぱい編みたい気分になりました。
 描いたはいいけれど大きすぎて袿に乗せられなかった花唐草柄があるんです。


2017年3月8日
 前に、百人一首に選ばれている紫式部の歌
 「めぐりあひて…よはの月かな」の話題を書いていたころ、
 月と言えば月読命(つくよみ)…とちょっと思ったのですが、
 書かなくても別によくない?うん、いいよね、まあいいか…
 とそのまま忘れてしまっていました。
 でも最近になって、やっぱりよくなくない?書いたほうがよかった…?、
 いや、でもわざわざ書く必要は…やっぱりよくなくなくない?
 …と色々悩んで(悩む…そこまで深刻さはないですけど)
 やっぱり書いておくことにしました!
 (なくなくなくない!…書いていて自分でもわからなくなってきました(笑))

 あの歌はたいてい女性の友達との再会の思い出と説明されがちですが、
 月に例えられている人が女性だと紫式部は書いていないんですよね。
 本人によって断言されていない以上、女性ではないかもしれません!?
 今日はこのことを「月の君」シリーズ(?)とは違う方向から突っついてみたいと思います。
 前は感性で攻めましたが、今回は論理的に参ります(笑)
 (月の君シリーズの補足…まではいかない内容なので、
 わざわざ古い更新履歴(おととし?)をほじくって読み返す必要はありませんよ!)

 ☆それでもほじくりたい方へ…
 月の君その1 その2 その3 その4

 まずは一般的に「月」そのものに人が抱くイメージについて…

 普段、月と言えば女性と深くつながりがあるもの…というイメージがありますよね?
 だから私たちにとって、
 月に例えられる「わらはともだち」が女性とされることはごく当たり前に感じられます。
 疑いをさしはさむ余地もないほどです!
 月は女性性の象徴といわれたり、
 お守りとして月にちなむムーンストーンや、
 「月の雫」という別名を持つパールを女性が持つといいよ!なんていわれたりもします。
 こういういわれはローマ神話やギリシャ神話から由来しているのでしょうか。
 ルーナ(ルナ)とか、ディアーナ(ダイアナ)、アルテミスといった
 日本でも馴染み深いローマ、ギリシャ神話の有名どころの月の神はみな女神です。
 というより、現代の日本で「神話」と言えば西洋の神話を指すのが普通ですよね。

 さて、日本にも独自の神話が伝えられていますが…
 月の神である「月読命」は男性とされているのです。

 紫式部の時代は西洋の神話なんてほぼ?全然?日本に入ってきていないですから…
 月のイメージは日本の神話ベースで考えてみるのがよさそうです。
 つまり、現代とは比べ物にならないくらい「月=男性」というイメージがあったと想像できます。
 なのに紫式部のわらはともだち=女性って…?


 そもそも、「紫式部のわらはともだち=女性」が確定状態なのは、
 紫式部の浮いた話が全くと言っていいほど伝わっていないことがたぶん影響しています。
 そうかモテないんだな…じゃあ紫式部に限っては彼氏なわけないよね!と。
 でもこれだけで相手が女性と断定するのは、ちょっと雑ですよ!
 「モテない=恋をしたことはない」だなんて…
 随分な言いようですよ!

 モテないヤツは心ひそかに片思いすることも禁止ですか!?
 片思いは恋ですよ!

 だいたい「浮いた話を聞かないからモテなかったに違いない」
 というのも無理やりすぎますよ!
 紫式部が恋愛話で人と盛り上がらない主義だったのかもしれませんし。
 でも相手の口から広がらないかって?
 …相手も言わない主義だったら、広がらないですよ。

 ともあれ、何とも書かれていない以上は、
 わらはともだちを男性か女性か断定することはもちろんできません。
 でも「書かれていない=存在しない」とはいえないと、
 紫式部は源氏物語の中でちゃんと書いてます。
 光源氏と藤壺の関係は2人の間だけの絶対の秘密なので、
 源氏物語の世界の中で記録に残るものではありませんでした。
 でも2人の間に何もなかったわけではないですね。
 後、こうも書いていましたね。
 物語には記録からこぼれた本当の話が書かれている…と。
 (そのすぐあとの場面で、
 誰かの話をありのままに物語にして語ることはないとも書いています(汗)
 私のような勘繰りへの対策も万全です…
 さすがは、はぐらかしの天才・紫式部?)


2017年2月19日
 昨日ブラタモリを見ていたら、
 須磨ってあんなに六甲山地のギリギリに位置していたんですね!
 ギリギリ畿内(京の都の付近)に入るキワ!!
 光源氏は自主退去といいながら(自主退去だからこそ)
 都の勢力圏?の範囲中でしか動いていなかったのが、
 地形で改めてよくわかります(笑)
 高い壁のようにそびえる六甲山地の麓。
 自らここまで来たんだからもう責めない(流刑にしない)でくださいーっというワケですね。
 明石の入道の迎えがあって初めて六甲山地の向こうに行ったんです。
 そういえば、光源氏って明石に行った以外で畿内を出たことってありましたっけ?
 なんか、なかったような気がします。
 そもそも明石じゃ出たうちにも入りませんよ。
 彼にとって畿内の外は異界なのでしょう…ビビりですねえ(笑)
 (エリート過ぎて出る機会がなかったともいいます。
 光源氏くらいの貴族は許可なく畿内から出ちゃダメだったらしいです)

 ひっさしぶりの源氏ネタでした。

 もうひとつ、源氏に囲碁ってよく出てくるよねという話を
 新聞で先日見かけましたが…
 囲碁について私は何も語れません(汗)できないので…
 空蝉と軒端の荻が囲碁を打つ場面など、作中に囲碁は確かに多く出てきます。
 紫式部が囲碁好きだったのか、
 そうではなくて、当時は囲碁が今のスマホゲームのような感じで大はやりしていて、
 「やはり囲碁はおさえておくべきポイントか…出さないのは不自然」と
 紫式部が思って物語の中に取り入れたのか、どうなのか。
 源氏物語は人に読んでもらうために書いていたものなので、
 それぐらいのサービスもしそうです。
 想像が膨らみます。


2017年2月3日 川本喜八郎人形ギャラリーに行って来た!(その9) 公開
 本当は1日に公開したかったのですが、うっかり2日オーバー(汗)
 今年も行ってきましたよ〜!
 いつまでリポートを続けるのか?とたずねられそうですが…
 続けられるうちは、と答えておきます。
 最近はいつ行っても他のお客さんとギャラリーでご一緒することが増えましたね!
 認知度が上がってきたのでしょうね。
 最初の頃は貸し切り状態でメモを取りながら過ごしたこともありますが(笑)
 今はお邪魔にならないように手早くコソコソと書く感じです。

 新年に書いた目標?の達成に向けて、早くも書き始めていますが、
 完成はまだまだほど遠く…
 まず、読む資料だけでたっぷりです。
 すでに本を4冊ほど、研究論文を3本ほど、その他諸々の資料も読みました。
 しかもその論文や資料の一部がかなりの難物です(笑)
 なんと戦前に書かれたものなので、
 旧仮名遣いなのは…まあ、これは日ごろ鍛えていますからいいとして(ホント!?)、
 漢字が読めないです(笑)
 グラムとかリットルとかの単位までも漢字(汗)
 瓩(キログラム)、瓦(グラム)、竓(ミリリットル)…(笑)
 さらに旧字体がゾロゾロ、しかも字典を隅までよく探さないと見つからないような
 珍しい異体字までも並んでいました…
 もう電子辞書の漢字源ではフォローしきれないレベルでしたよ…
 久っしぶりに紙の漢字源引っ張り出しました(汗)
 資料を読み終えさえすればすぐ書けて完成!とはならないのがまた厄介です。
 たぶんそれでは内容が半分くらいしか書けません(汗)
 なのに、その半分だけでかなりのボリュームになりそうな予感がします。
 うわぁ…でも今年こそはそろそろ決着をつけたいです!
 もともとゴールはできない挑戦ですが(残念ながらこれはわかっています)、
 どの方向にだったら進めるのかを探りながら、
 私が進んでいけるギリギリまでは行ってみたいと思います。

 実はこの調べ物は去年の夏から本格的に再開したんです。
 そもそもナニを調べているのかをお話しできるところまでは、
 せめて早いうちに進みたいですね…

 ※繰り返しますが調べ物は源氏ネタではありません(笑)


2017年1月1日
 あけましておめでとうございます。
 本年も当サイトをよろしくお願いします。
 
 …結局どうしようもなかったので、毎年同じことを書きます(笑)
 
 今年は!例によって源氏ネタじゃないんですが、
 ここ10年くらい休み休み追いかけてきたネタを
 みなさまにお披露目できたらと思っています。
 好きな人はきっといる話題です…書くのが楽しみです。
 (ヒント:更新履歴ページの中で過去に触れています)







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