「なぜ若年は濃色の長袴をはくのか」の考察(←?)


女性の平安装束について調べると、
このような記述を見かけることになると思いますが、いかがでしょうか?
「長袴は緋色が基本で、若年は濃色(こきいろ)」
(濃色は、濃い紫というか臙脂(えんじ)というか、小豆色というか…
まあそんな感じの色を思い浮かべてください)
緋色は、目にも華やかな真っ赤ですね。
若い女の子が着るのに、いかにも似合いな色だと(現代の感覚では)思います。
それなのにコキタナイ小豆色。
袿や文を書く紙で色のセンスを競い合っていたはずの、
平安女子たちはイヤじゃなかったのかなあ…と思ってしまいます。
枕草子を見ると、紅梅色(ピンク系の色)が人気だったと読み取れます。
なら、当時と今でそんなに感性は変わるものでもなさそうです。
現代女子で、学校の指定ジャージが小豆色だった日にはいつまでも嘆いていますよ(笑)
在学中は言うまでもなく、卒業してからも…
(私の出身校ではありません。愚痴として聞いた話です(笑)
まあ、うちもヘンな色でしたけど(汗)
小豆ジャージだった人に「かわいそう」といわれるような、常軌を逸した色でした。
その色を書くと、すぐさま出身校を特定されそうなので書けません、ゴメンナサイ)

そろそろ本題に入ります。
若年の袴の色が小豆色(←違う、濃色)でなければならなかった理由。
先に断りますが、根拠はなく、思いつきでしかありません。
血の話になります。
苦手な方のために、できるだけサラッと書くことにしますが(サラッとでもイヤな方は逃げて!)




<ちょっと字下げ>




「経血が染みてしまっても目立たないように」…だったのではないかと。
女性ならこれだけでピンと来るでしょうが、
一応もう少し丁寧に書きます。
必要の分しか書きませんが、なにせ生々しい話になるので、
苦手な方はご注意ください。




<再び、字下げ>




経血は普通の血液よりやや色が濃いので、
緋の袴の色では染みた時に目立ってしまうのです。
濃色の袴ならば、少しくらい経血が染みてしまっても目立ちません。
初潮を迎えてからしばらくは、生理の周期が安定しません。
それこそ、いつ次の生理が始まるか分からないので、
いつも濃色の袴をはいて備えていたのではないでしょうか。
それならば長袴の基本の色は緋色でも、若年は濃色をはいていた
ということになるでしょう。
平安時代にも生理用品として布や紙を当てることを行っていたようです。
でも、慣れないうちは当てている物の脇から漏らしたり、
溢れさせたりしてしまうこともあったでしょう。
周期が安定し、生理の手当てにも慣れれば緋の袴でも問題ありません。
もっとも、本当に重いとき(いわゆる2日目の夜とか)には濃色に変えていたかもしれません。
濃色の長袴は、サニタリーショーツの扱いというわけです。
生理になると不浄として閉じこもっていた時代なので、そうだったとしても誰にも分かりません。
もし本当にこういう理由だったら、なおのこと記述など残らないものだと思います。
当時の人には当たり前すぎたということもあります。

…いかがでしたか。ありそうじゃないですか?



余談
7歳の七五三や、十三参りの時に襟元に挟む「筥迫(はこせこ)」(お財布みたいなアレ)は
平安時代頃から長く使われた生理用品である「さくら紙」という和紙を入れるポーチだそうです
(筥迫を持つのは江戸時代ごろからの風習のようです)。
大人の証というワケです。




2014年10月14日公開



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