おすすめの本 紫式部日記 紫式部集
今回ご紹介する本はこちらです。
山元利達 校注 「新潮日本古典集成(第三五回)紫式部日記 紫式部集」 (新潮社)
この本には、紫式部の著作として現在伝わる3つの著作である
「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」のうち、
2つが収められています。
1冊で2つも読めるなんて、おトクですね(?)
「紫式部日記」は、中宮彰子が皇子を出産する前後の出来事を
彰子に仕えていた紫式部の視点で記録したものです。
「紫式部集」は紫式部自作の和歌と、
文のやり取りの中で相手から送られた和歌で構成された和歌集です。
和歌に添えられた詞書から、歌が詠まれた背景を知ることもできます。
どちらも、紫式部が日々どんなことを思い、また感じていたのか
そしてそれが源氏物語の創作にどのような影響をもたらしたのかを
想像しながら読むと楽しいです。
…このように書くと何やら難しく聞こえそうですが、
実際に読んでみると、紫式部日記は
まるでブログをまとめ読みしているような印象を受けます(笑)
誰かに読まれることを前提に書かれた日記だからこそでしょうね。
ところが、あくまで紫式部の視点から書かれている記録のため、
変な(?)記述も結構あります。
例えば…
せっかくいい歌を考えたのに、肝心の聞かせたい相手が居なくなっちゃっただとか、
寝てる人にいたずらしてその人に怒られただとか、
大みそかの宮中で追剥事件があってパニくっただとか
紫式部自身のしょうもない(?)日々の出来事をはじめ、
行幸の様子が柱に隠れてよく見えないとか、
着飾った内裏の女房が天女みたいできれいだとか
儀式の様子についても、
とっっても個人的な印象で書かれています。
そんな感じなので、普通に読み物として面白いです。
さっき「変な記述」といいましたが、
これは真面目な話の間に面白おかしい話を入れることで、
読者を飽きさせないようにという、紫式部のサービス精神かもしれませんね。
広辞苑で随筆と引いてみると、紫式部日記も広い意味でエッセイと呼べそうです。
平安のエッセイストといえば清少納言と言われがちですが、
紫式部も負けていません。
さて清少納言といえば、彼女をけちょんけちょんにけなす
例の話も、もちろんあります(笑)
加えて和泉式部のこともこき下ろしているという解説は良く聞きますが、
読んでみるとそこまででもないかな、とわたしは思いました。
恐れ多いほど立派な歌人ではないけれど、彼女とは楽しく文通もしたし、
いい感じの歌を詠むんですよというふうに好感を持ちつつ書かれています。
紫式部集は個人的に、友達や宮仕えの同僚女房と交わした友情の歌の中に
いいなあと思う歌が多かったです。
百人一首で選ばれている紫式部の歌も友情の歌なんですね。
その歌もいい歌ですが、もう一首いいなと思った歌は
北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして
でした。
――手紙は私の居る北へ行く雁にことづけてください。
それと「中の君へ」と上書きするのをやめないでください。
…大体こんな意味です(汗)
紫式部は若い頃に姉を亡くしますが、妹を亡くしたある人と
互いに姉妹と呼び合う約束をします。
それから二人が手紙をやり取りするときには
「姉君へ」「中の君へ」と上書きしあっていました。
やがてそれぞれ越前と九州に遠く別れることになり、
その別れを惜しんでこの歌を詠んだのです。
他には源氏物語に登場する夕顔の歌
(山がつの 垣ほ荒るとも 折々に あはれはかけよ 撫子の露(表記はテキトウです))
と、夕顔の薄命さを思わせるような
垣ほ荒れ さびしさまさる とこなつに 露おきそはむ 秋までは見じ
も印象に残りました。
夫を亡くし、幼い娘一人と残されて…という状況で詠んだ歌です。
こういう和歌を読むとやはり、
源氏物語を書く上で実体験を基にした部分があったんだなと思えます。
(撫子=常夏ですよ!)
この本に興味を持っていただけましたでしょうか?
それではぜひお読みくださ…
あ、いけない!言い忘れていた話を思い出しました。
実は今回ご紹介の本には、原文しか載っていません!
なので注釈は付いていますが、気軽さはないと思います。
特に「現代語訳で読みたい」という方には向きません…
(現代語訳はいいものを見つけたら、いずれまたご紹介することにします)
一方で、原文で読んでみたいという方には、とてもおすすめです。
紫式部日記にときどき混じるちょっと砕けた文体や、
紫式部集の詞書の詩的な表現といった文の雰囲気には、
やはり原文で読まないと伝わらないかもしれない味わいがありました。
頑張ってみる価値はありそうです。
2012年12月15日公開