選択的夫婦別姓制度と子ども心の悩み


私と紫式部は似てる、と恐れ多いようですが前から思っていました。
文章の端々や行間、描かれた物語世界の背後から影のように浮かび上がる作者紫式部の人となりに、私が日頃決して人目に晒さないように伏せている心の奥の部分が共鳴するのです。
それは世の中に対する見方、感性、人としての性質です。
私はこの人と同じ種類の陰を持っていると、実感をもって迫ってきます。

私には分かります。
紫式部は漢籍の才能を父に惜しまれて、男性に生まれてくることが出来なかった自分を責めたであろうこと。
その痛みも私には我が事に重ね合わせて手に取るように分かります。
彼女が痛みを昇華させるために、血を絞るように源氏物語を書いただろうことも。

私には分かるのです。
紫式部は、普通なら感情を激しく揺さぶられるであろう自分自身にとって重く大切な瞬間になると、ブレーカーが落ちたように喜びや悲しみなどの感情のすべてが消え失せる性質だということが。
石に変わったように心が動かなくなり、目に映るものをただ記憶に焼き付けているのです。
紫式部なら、それはたとえば有名な「めぐりあひて」の歌が生まれる源になった出来事です。
私であれば…遠い日に憧れを抱きながらも、ある事情で手も足も出すことすらできなかった悲しみと共に、その面影が今でも胸の奥に焼き付く人のこと。
ある日、遠い場所から見かけたその人と思しき左手の薬指に、光る指輪を見つけた時。
長らくお目にかかることさえ叶わぬその人は、長きにわたって私の心中に広がる深く暗い霧に差す光でした。

いくらでも遠慮なく口に出せる物事は、あまり意味のないことや、道理にかなう少し大切なことばかりです。
本当に大切なことは、そして道理に合わないことは、いつも口に出せないまま胸の底に溜まっていくのです。
そうは言っても…自分ひとりの胸のうちに収めがたく持て余す思いが溢れ出ようとするのを、留め続けることは難しい時があります。
紫式部のようにせめて意志を持って、溢れ出かたを整える努力をするしかありません。


私が生まれる前のこと。
母のお腹にいた私が動く様子を見ては、周りの人たちが「きっと男の子だね」と母に言っていたそうです。
幼稚園の誕生日会のために母が、私の生まれる前、0歳、1歳、…6歳の頃の思い出をまとめたカードにありました。
母は私の性別を調べずに、生まれるまで楽しみにしていたそうです。
この話を初めて聞いた時に私は、どうしてその人たちは何も知らないのにそう思ったんだろう、変だなあとは思ったように記憶しています。
でも長じるにつれ、その言葉の裏に隠れていた期待に少しずつ気が付いて行ったのです。
両親は私を分相応に何不自由なく育ててくれました。
十分過ぎるほどに可愛がってくれたと思います。
ただ、一人っ子というとわがままなどと悪いように見る大人は多いから、それだけは気を付けなさいねとだけは母に繰り返し言われたと思います。

そう、私は一人っ子なのです。
そして父方の祖父母や親戚たちは、男の子を望んでいました。
跡継ぎが欲しかったのです。
それでも祖父母にはとても可愛がられました。跡継ぎが途絶えることを嘆いたというらしい祖母からも。
私は小さい頃から静かで手がかからない子だったらしいです。
だから尚更もう一人、次は男の子がいれば、あるいは私が同じ気性で男の子だったら良かったと思ったことでしょう。
少しずつ、やがてその全てに気付いた私は、周囲の望みに沿うように生まれて来れなかった自分を申し訳なくしか思えませんでした。
この世に生まれ落ちたその瞬間に、いかに私は周囲を失望させたことでしょう。
その頃には、いつか大人になって結婚すれば苗字が変わるであろう私に、跡継ぎの役目が十分に果たせないことにも気が付いていました。
誰からも面と向かって言われることがないからこそ、かえって自分を責めました。
悲しいことでした。
この家の子どもという立ち位置にいるべき人間は、女の私ではないのですから。
しかし不十分であっても、その役目を出来る者は私一人しかいないのです。
やり遂げなければ、いよいよ私が生きている価値が無いように思いました。

我が家において引き継ぐものは、つまるところ苗字と墓石しかありません。
しかも我が家の場合、先祖は完全に血の繋がらない他人です
(血縁関係の詳細は事実と異なる可能性がありますが、当時の私が周囲の話を聞いてそのように理解していたとしてお読みください)。
それというのは、最後の女性が嫁ぎ先の親戚から養子(祖父です)を実家に迎えてまで繋いだからです。
家の名前を連綿と子々孫々に受け継がせて、先祖を敬い供養などをさせ続ける。
子孫にとっては自らの起源である先祖との繋がりを現実に感じることを通して、自らが何者であるかを知り、精神的にこの世に根を張る助けとする。
日本の伝統的な価値観を強いて否定する気は、私には全くありません。
それを安定的に続けられることは幸せでありましょう。
私は先祖代々や祖父母たちの思いは出来る限り大切に叶えたかったのです。

一方でいつか私も今自分が味わっている悲しみを忘れて、養子を取り、子孫の誰かに私と同じ辛い思いさせるのだろうかと考えるだけで嫌でした。
私と最後の女性の立場は全く同じだからです。
私は孝心と、他者に辛い思いをさせたくないという私個人の道徳観との板挟みとなりました。
私がそうして悩んでいることは誰にも明かせませんでした。
「供養はあくまで生きている人のためのもので、縛られて苦しんでは意味が無い」と私に言う人は、現代ならば当たり前にいるでしょう。
私もこのようなことで深く悩む私以外の人に向けてならば、必ずそう伝えるでしょう。
それが自分自身のこととなると違ってきてしまいます。

別の方法として、いつか私と結婚してくれる人と出会えたらその人に改姓をお願いすることも思い浮かびました。
結婚の届け出をする際に、女性が男性側の姓を選ぶのと同じように、男性が女性側の姓を選べるということはすでに何となく知っていました。
ですが、それはすぐに違うと思いました。
一生同じ苗字を名乗ることを疑いもせず親しんできたであろう苗字を変えさせるのは、気の毒で申し訳ないことです。
何より、私自身が困り苦しんでいる改姓を大切に思う人にお願いできるでしょうか。

このようにして私は、11歳くらいの頃には将来独身を一生貫いて、子どもは実子も養子も無しで、全ては女に生まれた私が悪いからと一人で背負って、地獄に落とされてでも私の代で全て終わりにしなければならないのではないかと、とても真剣に考えるようになっていました。
私の後に私のような人が生まれてきてはいけない、つまり不幸の再生産をしてはいけないというように考え至ったのです。

加えて誰かを本気で好きになるのも駄目と思いました。
付き合ってほしいと申し出ることも、反対にお受けすることもできないからです。
いつかさようならの日が来ることが初めから分かりきっているなんて、悲しすぎたからです。
何よりこの世に生まれてきただけで周囲を大いに失望させた私には、自分の幸せを求める資格もないと思いました。
情が移りやすい私に割り切ることはできないだろうし、そうしたつもりの人付き合いを悪いことのように思いました。
そうは言っても、この世には真剣に考え至った道理にかなわないにも関わらず、自分ひとりの胸のうちにも収めきれずに持て余す思いが有り得るらしいことを、私はやがて身をもって知るに至りました。

今では十分に大人と言われる年齢になった私ですが、小学生の頃の私が至った結論からより良い方向に覆す答えを、今もって見つけられずにいます。
先述したように血縁関係への子ども時代の理解に誤りがあったとしても、それを正したところで結論は覆るものではありません。
大人になって付いた知恵といったら、解決策をすぐに求めずに時代の変化を待つ棚上げを知ったくらいです。
世の中の価値観は決して固定的なものではなく、時代とともに移ろうものだということを、これまで生きてきた中で見聞きして知りました。
しかし棚上げには限界があり、根本的な解決策ではあり得ません。

私の国では、夫婦は同じ姓にすることが決まりだからです。
悩みが生まれた根源を探っていくとここに行きつきます。

法律婚をしても夫婦がそれぞれ結婚前の姓を名乗れるように制度を改めようと世の中で話し合われていることは、高校3年生頃までには知っていたと思います。
高校の卒業祝いに実印と銀行印を学校から贈られることになって、女子は実印の印面を姓名または名前だけのどちらにするかを選んでほしいと案内が来ました。
そのことで友達と話した記憶があります。
「女の人は結婚すれば名字が変わるから」と、恋人と弟のいる友達は名前だけの実印を選びました。
姓名を選んだ私はその時、夫婦別姓が認められないと一人っ子の私は結婚できないだろうからと言いました。
私は当時から内心、夫婦別姓制度には賛成でした。
夫婦別姓制度が実現したら私も気兼ねせずに結婚できるようになるかもな、と思いました。
結婚しても姓を変えずにいられるなら、生まれた家へのけじめがつけられるような気がしたのです。
私で最後になってしまうけれど、私は命ある限り最期まで責任を持つというように。
私は自分の悩む事情を差し置けば、共に生きる約束をした人と同じ苗字を名乗ること自体には悪い印象はありません。
けれども私のような事情を持つ人の場合は、縛りとして同姓の決まりが無い方が当人にとっても周囲にとっても、穏やかに物事を進めていくことが可能でしょう。

そうは思いつつも、日本ではいつまでも無理なんだろうなとも思いました。
まだその頃はそうした考えは一般には広まらず、どちらかというと革新的な主義を持っている人でなければ主張する人もいない印象でした。
私のようなむしろ保守的な価値観と個人の感情が絡む事情で賛成する人の声は聞こえてこない様子でした。
今ならばそうした人がいなかったのではなく、声を上げることさえできないほど苦しみながら忍び泣いていたか、訴えても誰にも理解されずに世に伝えられることがなかったと分かります。
友達と実印の話をした日からは、すでに2桁の年が流れています。
それぞれの事情を持ち、同姓の縛りを避けるためにあえて事実婚を選択する人たちは多くいるようですが、法律婚と比べると不利益が多いものです。
これまでどれほど多くの人が、自らを生み育てた周囲を泣かせることへの自責の念に苛まれながら改姓したり、不利益をやむなく受け入れざるを得なかったり、不利益については棚上げせざるを得なかったり、あるいは幸せを得たいという願いを諦めたりしながら、時代が移り変わるのを静かに待つよりほかになかったのでしょうか。

それでも時代は移り変わり、結婚後の姓を名乗ると仕事に差し支えることを理由に結婚後も仕事では旧姓を使うことが珍しくなくなり、結婚自体にも様々な形の多様性が社会の中で受け入れられつつあるようになりました。
姓を変えることに、自分の起源や努力して積み上げてきた実績と断ち切られて、根無し草として虚空を彷徨うような寂しさを感じると訴え出る人も増えました。
姓とは何か、個人を表す姓名ひと繋がりの名前とは何かと考えると当然のことです。
下の名前だけの実印にはどこか半人前のような頼りなさを感じさせます。
このことについては、高校の卒業祝いの実印を署名と共に契約書類に押す機会を得た時に改めて思いました。
無い信頼感を見た目で多少は演出できるように思えて、張りぼての自信であろうと胸を張りながら押せる、姓名の実印を選んでおいて良かったと。
ちなみにその書類は、今後私の姓が変わると本人の証明が厄介そうで、それにより効力が消えてしまうならば惜しいものです。

一人っ子も増えました。
それだけを理由に一人っ子を非難する人も周囲ではほぼ見かけなくなりました。
一人っ子というだけで重大な人間的欠陥があるというようなことが、普通に公立図書館に置かれた本に書かれていた時代もありましたから、隔世の感があります。
私を悩ませた特に墓を守ることについても、家族構成や居住地の変化などで支え手が減りこれまでのやり方を維持できないとして、変わらざるを得ないことが当たり前に理解されるようになりつつあります。
そうはいっても、今も一人っ子が有形無形のプレッシャーを受けていること自体には大きな変化がないと思います。
私個人で言えば、現在もこの件は気が重いです。
一般には特に良い印象も悪い印象も持たれない大衆の宗派ですが、私にとってはあまりに苦しみと結びついて信仰心を持てる心境にないために、ただの重い足枷でしかありません。
寺は近いとは言えない距離にありますが、同じ都内なので遠いと言うのも差し障りがありそうです。
義務感が私を支えています。
信条といえば聞こえが良いかもしれませんが、結局のところ個人の自己満足に過ぎないと笑う人はいましょう。
ですが、軽く考えられて笑い飛ばされたくないものであります。
信条として大切にしたい思いを全てかなぐり捨てて、わがままに生きようとした方が良かったのか、そうすれば私個人は満足だったのか。
どちらの道が正しかったのか、間違っていたのか。
もう一方の道がどのようであったかは想像しようにも分かることができません。
人は生まれ育った境遇から良くも悪くも離れることが出来ないと思います。

伝統的な家族観といっても夫婦同姓が法律で決められたのは明治になってからだといいます。
つまり日本の長い歴史の中で直近わずか150年ほどのことなのです。
ヨーロッパの制度にならったものですが、短い期間でこの国に何と根深く定着したことでしょう。
価値観の移り変わりの早いことです。
個人と寺と墓が強く結びついたのも江戸時代からです。太古の昔からではありません。
江戸時代は戸籍が寺の管理下にありましたが、明治になってそれは改められました。
おそらく現代はそうした事柄をめぐる制度や価値観の過渡期にあたります。
どうあるべきかを決めるのは難しいことではあります。
無理があっても一部に我慢を強いて現状の制度を維持し続けることは、変える面倒がなくて簡単ではありましょう。
しかし正しさも時代とともに変わりゆくものであれば、苦しいと声を上げる人が多くなった制度については改めていくべきなのではないでしょうか。

そのような時代の変化の中でついに少しずつ、実現に現実味が帯びてきた選択的夫婦別姓制度。

ところが私は今年、この件でとても悲しくなる公の場での発言を2つも耳にしてしまいました。
1つ目は選択的夫婦別姓制度に絡んで国会で伝えられた、国民民主党の玉木雄一郎さんが若い人から聞いたという話。
女性が恋人の男性に、姓を変えないといけないから結婚できないと言ったという件です。
ああ、この言葉が私より後から生まれたであろう人の口から出てしまったとは…と思うとやりきれなかったです。
この女性が抱える事情を私は知る由もありませんが、その心の痛みは察して余りあったからです。
さらに2つ目。
その発言に対して「だったら結婚しなくていい」というヤジが飛んだということです。
「結婚できない」と「結婚したくない」は同じではないのにも関わらずです。
しかもヤジを言ったのが保守系の女性議員という噂が…
伝統を重んじる保守的価値観と選択的夫婦別姓制度が無関係だと、無意識に判断する人が未だにいることが私には耐えがたいことでした。
この2つの話が伝えられた日、私は思い返しては人目を避けて泣きながら過ごしました。

社会の要請か、悲しい発言を受けてか、今年ようやく制度に慎重派の立場をとる人々の間でも話題が取り上げられつつありました。
その、せっかくの議論が今年のコロナウィルスの流行で中断され、そのまま再び消されてしまうこと私は大変心配しています。
確かに現状での優先度は、生存に直結するコロナウィルスの流行の方が上でしょう。
しかし選択的夫婦別姓制度を進める検討もこのまま終えられていいものではありません。

かつて参議院に提出された選択的夫婦別姓制度の法制化を反対する請願には、3番目の理由として子どもの心の健全な成長のために良くないということが挙げられています。
しかし、小学生の子どもであった私は夫婦同姓の条件を伴う制度が原因で先述のように悩み苦しみました。
子どもに、自分が生まれて来るべきではなかったという思いをさせるのです。
幸せになってはいけない、幸せになろうとしてはいけないという思いをさせるのです。
子どもの健全な成長を重んじる人々であれば、子どもの立場でさえも大きな苦しみを生む制度を、「普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない」と断言して良いはずはありませんでした。
法律婚の制度に同姓または別姓を選択できる幅が用意されていれば、私はあのように思い詰めなくても良かったのです。
出会った人と仲良くなってみたいというささやかな願いに蓋をしなくても良かったのです。
無理やり離れようとしなくても良かったのです。
蓋さえしないでいられれば、仲良くなれたか、なれなかったかは別として、悔やみはしなかったでしょう。
子どもに知ることのできる世の中はごく狭くて、その狭い世界の中で手を尽くして得られる材料でしか物事を見られず、考えられず、大切なことであればあるほど頑なに思いつめる方向へしか向かえないことがあります。
私の後に私のような子どもが2度と生まれない世の中になりますように。

子どもが両親のいずれかと姓が異なってしまうことが子どもにとって良くないとされる点についても個人的に思う事を書き添えておきます。
現在も母方または父方の祖父母と孫にあたる子どもたちは姓が異なっているものの、それを理由に姓が異なる方の祖父母に子どもが親しみを持てないということは起きていないのではないでしょうか。
また、離れて暮らしていたとしても祖父母を家族として数えることは子どもたちにとって自然なことではないでしょうか。

玉木さんに訴え出た人のような話は悲しいことに氷山の一角なのでありましょう。
そして世の中にはそこにさえ遠く及ばず、社会の要請のひとつとしてと公に訴え出ることができる段階にも届かずに消えていくしかなかった思いが、これまでにどれほど多くあったことでしょう。
そうした思いは海に沈んで見えない氷山よりもおそらく、なお多いのです。

出会うことがなければ、私は自分の信条を少しも疑いもせず迷いもせずにひたすら進んでいったでしょう。
その方が楽だったでしょう。
ちょっと素敵だなと思うくらいでは私は揺らぎませんでした。
なぜあの人と出会ってしまったのだろうか。知ってしまったのだろうか。
細い縁が切れないように離さないでいたかった。
世の中がもっと早く変わって、もう一度偶然どこかでまた出会いたかった。
縁があり続けてくれていて欲しかった、たとえ世の中が変わらなくても。
憧れの人の面影を、会えなくなってからもずっと胸の中に輝かせて生きてきたことだけには後悔がありません。
あれから私は、あの人を超えて心を揺さぶられる人に出会ったことがありません。

憧れの人に会えた日々と入れ替わるように源氏物語と出会って、女性に生まれたことを悔やんだであろう紫式部に痛く共感し、悩みの種となった墓は光源氏のような名前の寺にあって、時を経て、この国の制度を直接変える力を持つ人たちと一般の私たちを言葉で繋ぐ人々の中に、憧れの人らしき姿を見かけて、私は年に2回墓参りに行くためにその人のいた場所の前を今までもこれからも通り過ぎていく…何かの縁だとこじつけて書いてみました。
読んでくださる人のお気持ちをいたずらに荒らさぬよう、政治的な要素を含む話題はこれまで避けてきましたが、この度ばかりはお許しください。
この長い私の話をここまで読んでくださった情け深いあなたに、こんな悲しみもあるのかと、この国がいよいよ変わろうかという時にお力添えいただけますように。
ご共感いただけなくとも、このような人間がいたとだけ知っていただけたら幸いです。

法改正がなされた時、私は子どもの頃の私ともきっと和解できるのでしょう。
もう大丈夫、私の後に私は2度と生まれないよと。










その人が名前を名乗るのを聞いたことはなく、身分証の名前が読めたわけでもありません。
人の顔を見分けたり覚えたりすることが苦手な私に、その人が憧れの人本人どうかの判断は今もつきかねます。
いつか答えを知ることが出来たらとは思います。
別人ならそれでもいい、面影を重ねられるその人を時々見かけられるだけで嬉しいと思っていました。
昔、本人から直接に、先々は絵の勉強をしたいと聞いていました。
どもり気味に「向いてると思う」としか言えなかったことが悔やまれますが、頑張って欲しいな、と内心では応援し続けていました。
だから少なくとも何か違う仕事をしているだろうと思っていたのに、ある日あまりにも思いがけない場所に見かけたその姿。
対面で思いがけない見かけ方をして、しかも相手が親しい友達ですら気が付けないことがある私(軽い相貌失認を疑うほどです)は、自分の感覚を信じて良いのかさえ分かりません。
人違いだと思ったほうが良いのかもしれません。
あるいは人違いであっても本人だろうと信じ続けていたほうが、長い時が経ち過ぎた今となっては良いのかもしれません。
見覚えのある、すらりと高い背格好がその人を人波に埋もれさせませんでした。
輪郭と眉と鼻と口は卒業アルバムの写真と重なり、目つきや表情は私の記憶の中の面影と重なったその人。
初めてあの人を前にした遠い日、何の気なく覗き込んでたちまち釘付けにされた透明な眼差しの目。
奥二重の目元の美しさはあの人に出会って知ったのでした。
可愛い印象の(ごめんなさい)大きな目でありながら涼しげで、目を伏せた時の表情が艶やかだったことを覚えています。
意識して記憶を手繰って思い描こうにもあの目の印象が眩しすぎて、思い出そうとするほど白飛びするようにぼやけてしまう面影は、たまに閃くように一瞬だけくっきりと像を結びます。
どのような時でも鮮やかに、他の誰よりも隅々まで詳しく瞼の裏に思い描きたい面影なのですが、昔から思うようにはなりません。
あの面影がその人の顔の上に、一瞬はっきりと像を結んだのです。
こういう声をしていたと懐かしく、いつまでも聞いていたい声がその人の口から発せられるのを聞きました。
もしその人が人違いならば、姿さえ見かけられない日がずっとずっと続いてきたことになって、それは悲しい。
昔見たままに節が目立たない真っ直ぐで綺麗な指をした手が、ある時はマイクの束を、ある時はボイスレコーダーを握りしめていました。
人を魅了してやまない端正な美貌の持ち主だから、今は仕事だけに集中したくて女性除けに指輪をしていると思いたいですが、それは描くにも出来の悪い空想でしょうね。
好きだったことをあの人に知らせずに堪えられていたら、同じ場所で育った仲間のひとりだったという繋がりしかあの人から見て無ければ、いつまででも素知らぬ顔で心密かに応援できたのか。
「昔も素敵だったけれど、今はますます輝いているね」と言える仲でいたかった。
どこかで会えさえすれば、今からでもそれを言うことくらいは許されるだろうか。言いたい、せめて。
でも同窓会にも来なかったくらいだから、きっとこれから先も会えることはないのでしょうね。
誰かに何かを伝えたい時は、些細なことでもその時を逃さずきちんと伝えなければ後悔すると、あなたとの関わりを通して知りました。
だから、今この場だけで言いたいだけ言うのはお許しください。
このはるかに遠い場所より。
その人がほんとうにあなただったとして…
隠れファンでいさせてください。
恰好いいお仕事だねえ、凄いなあ、色々話を聞いてみたいよ。
普通の人が絶対入れないようなところに入って行くんだもんね。
会えないような人にも会いに行くんだもんね。
滅多に聞けないような話があるだろうと想像だけでワクワクします。
色々苦労も多そうだし、体力的にもきつそうだけど、とてもやり甲斐がありそうだね。
あなたは凄い人になるって、昔から知ってたよ。どんな道を選んでも。
知ってたと言うと変な感じがしそうですね、見えているように信じていましたと言ったほうがいいかな。
これからも順風満帆でありますように。
スーツのコーディネートのセンス素敵だと思いました。
詰襟の制服も似合っていたけれど、今も素敵。
髪型何でも似合う人だね。
お仕事柄か昔よりもちょっと鋭い目をしますね、カッコいいです。
ボイスレコーダーを肩口に寄せられつつ睨まれて吊し上げられたら、私だったらすぐ辞職願出しちゃう(笑)
でも私は口もこわばって動かなくなってしまうだろうから、あなたは言質を取れないね。
日々3密の中で戦わざるを得ない緊張から解き放たれる日が、1日も早く訪れますように。
あなたやあなたのお仲間が毎日お伝えくださる情報に支えられて過ごしています。
ご自愛ください。感謝しています。
では、たまに見せてくれた蕾がほころぶような笑顔の面影を精一杯思い描きます。
昔、優しく接してくださってありがとう。
忘れません。これまでもこれからもずっとあなたの思い出を大切な支えとします。

いつまでも幸せでいてくださいね。


2020年4月28日