弘徽殿の女御ってこんな人?



「源氏物語」で有数の(!)悪名高き女性、弘徽殿(こきでん)の女御。
のちに弘徽殿の大后(おおきさき)と呼ばれるアノ人について、
管理人が思うところをあれこれと書きます。

あ、別に管理人は弘徽殿を好きではないですよ。
むしろ大嫌いです。
源氏物語の嫌いな登場人物2位だと思っていますから。
1位誰だよ、っていう話ですが、まあそれはあちらに置いといて…



はじめに弘徽殿の女御が、桐壺の更衣いじめのリーダー格だったことは、
まあ、間違いないでしょう。
先帝の女四の宮(のちの藤壺の女御)側が初めのうち入内に難色を示した理由が、
「弘徽殿の女御が怖いから」だったからです。

弘徽殿にとって(他の女御たちもそうでしょうが)、帝に愛されることは人生の全てでした。
身分の高さがものをいうこの時代、右大臣家の姫である弘徽殿(身分は非常に高い)は
誰よりも寵愛を受けるはずであり、そうでなければならないのです。
帝の寵愛を得ることは、未来の政治的権力を得ることでした。
実家の権力を将来にわたって確かなものとすることが、彼女が果たさなければならない役目でした。
目的のためなら、どんな傍若無人なふるまいをしても許される(と本人は疑いなく信じている)のです。
内親王ですら震え上がらせたほどの(笑)激しい気性はその考えによるものでしょう。
弘徽殿の、女御であるという立場は、桐壺いじめを(彼女自身が)正当化するために十分でした。


おそらく、弘徽殿は本人の性格としても、
常に自分が一番でなければならないタイプだったのでしょう。
これは本人の生まれもった気性によるものというか、
受けたであろう、お妃教育によって植え付けられたものというか…
まあ、どっちもでしょうけど(笑)、
それこそ
帝の寵愛を受けるのはわたしこそ一番…ほかの女御たちのだれよりも。
と思っていたはずです。
その、一番の寵愛を桐壺の更衣が、
他の女御たちよりもさらに格下の更衣が、
弘徽殿を差し置いて手にしてしまったのです。
このことは弘徽殿の自尊心を取り返しのつかないほど傷つけたはずです。
この自尊心には身分や権力という意味だけではなく、
もっと弘徽殿にとって個人的な、
女性としての自尊心も含まれているのです。
権力争いという面に注目するとつい忘れがちになりますが、
一番の寵愛は未来の権力よりも先に、
後宮に集うたくさんの素晴らしい女性たちの中で一番になることなのです。

一方の桐壺ですが、彼女も内心は帝の寵愛を一人占めにしたことがうれしかったはずです。
まあ、それを表立っては見せませんが…
気の弱いながら、ちょっとした自信も持っていたでしょう。

弘徽殿にはそのわずかな桐壺の自信がありありと、
桐壺が実際に持っている自信以上の自信(!)が見えるのです。
そういう目で桐壺をみれば、ますます桐壺の一挙手一投足が鼻につくのです。
桐壺が本当には考えてもいないことまで、勝手に想像します。
そうして、弘徽殿は憎らしい桐壺像を脳内で作りあげるのです。
その(作りあげた)憎らしい桐壺を倒すべく、弘徽殿はありとあらゆる嫌がらせを行います。
…つまりは、弘徽殿は自分の妄想で作りあげた桐壺を、
現実の桐壺に重ね合わせていじめているのです。

当然ながら弘徽殿の考えていることは、桐壺にとっては身に覚えのないことです。
有力な後見人(=権力を持ちたがっている人)のいない桐壺にとって、
帝の寵愛に、愛以外の意味はないのです。
桐壺の境遇を当然知っていたはずの帝も、まさにそのつもりだったのでしょう。
桐壺は権力を望んでいたわけではありません。
世間がどんな邪推をしようと、桐壺はもとより弘徽殿を脅かす存在ではなかったのです
(世間の邪推も弘徽殿の桐壺いじめの一環だったのかもしれません。
のちに源氏の君を失脚させるために、謀(はかりごと)を企てた彼女ですから)。
その証拠(?)に帝は弘徽殿の子(のちの朱雀帝)を東宮に立て、
桐壺の子(のちの源氏の君)は臣籍に下しています。
弘徽殿ほどの立場なら、本来この件で焦りを感じる必要はなく
鷹揚に構えていればよかったのです。

しかし、嫌がらせを受ける桐壺の側は言うまでもないことですが、
弘徽殿にとっても桐壺の存在は大きなストレスでした。
弘徽殿は桐壺のせいで苦しむ「カワイソウな悲劇のヒロイン」なのです。
桐壺は、叩き潰さなければならない存在でした。
そのため、弘徽殿にしてみれば桐壺をいじめているというのではなく、
正義のための戦いをしているつもりなのです。
戦い(桐壺いじめ)は最高のストレス発散法であり、桐壺の苦しみは快感でした。
その間も、弘徽殿の中の憎らしい桐壺像は、日々さらに作りこまれていきます。
桐壺を叩き潰す側である、弘徽殿にとって都合のよい悪役桐壺像です。
直接の攻撃対象を倒した後は、関係者(源氏の君)に攻撃目標を変えます。
攻撃は本人が死ぬまで続けるのです。
「悪と戦う悲劇のヒロイン」になっているつもりなのですから。
なんともバカバカしい話です。
最大限まで膨れ上がった、人が苦しむのを見て喜びたいという欲望は、
もはや消し去る方法がないのでしょう。



……。
弘徽殿の心情を代弁しながら、胸の内を読み解こうとしましたが、
書いていて気分が悪くなりました…
嫌いだ、こんな人…
こういう人って実際いるでしょうけど、
物語の人物として書ける人ってそうはいないと思います。
なぜって、普通なら思いつかないでしょう、こんな嫌な人。
ですので紫式部の身近にいたのかな、と思います。
もちろん紫式部はその人が嫌いで、
でも分析を重ねて、腹いせに(!)話のネタにしたのかも…

さてさて、ここまで読み終えられましたら、
もう一度(!)桐壺の写真に添えられた弘徽殿コメントをお楽しみください(笑)


お読みいただきありがとうございました!!

戻る




2011年9月10日公開